何か柔らかいものに全身が挟まれて、軽く圧迫されている。苦しくはない。軽く身体を動かすことはできるが、むにむにと沈むような、それでいて弾むような柔らかさからは逃げられそうにもない。
周囲は薄暗く、全身に纏わりつく物の正体はわからない。それは人肌並みに温かく、むせかえるような甘さと、仄かな酸っぱさが入り混じったような匂いをしていた。どこかで嗅いだ覚えがあるような匂い。こんな状況なのに少し安心感も覚える。ヒントになるかとも思ったが──吸えば吸うほど、酒に酔うかのような酩酊感で目の前が眩む。
とにかく、ここから出ないと。
それの中を、かき分けるように、前に進む。薄暗い中でも、微かに光が差している方向があった。そこを目指して、ゆっくりと進んでいく。
何もかもが身を沈めてくる柔らかさの中で、苦戦しながら『出口』へと辿り着くと──
──トレーナーは、言葉を失った。
薄暗さの中から抜け出した先は、トレーナー室で。真っ先に耳に入った音は、担当ウマ娘であるキタサンブラックの声。
目の前には、出掛ける前に身嗜みを確認するための大きな鏡が置いてあって──
「? トレーナーさん?」
──自分の顔が、キタサンブラックの谷間の間に、あった。
勝負服を着用したキタサンブラックの、胸元の菱形の部分。
その間から、自分の上半身が溢れ出ている。
「わっ!? ダメですよ!?」
思わず、もう一歩前に出ようとして、キタサンの指先に押し返された。
「ふぅ……いきなりどうしたんですか?」
目が覚めたら、身体が縮められて、キタサンブラックの谷間の間に閉じ込められている。
それをキタサンは当たり前のことのように受け止めている。
むしろキタサンの谷間から抜け出ようとすることが異常なのだと言わんばかりに、トレーナーの身体を柔らかい肉の中へと埋め込んでいく。
「き……キタサン!? これは!? どうなって!?」
「どうって……? とりあえず、そろそろトレーニングの時間ですし。移動しながら聞きますね」
辛うじて顔面だけを谷間の外に露出させ、トレーナーはキタサンに連れられてトレーナー室を後にする。
そして──
「何でって……何か、おかしいか?」
「な、なんだ!? 急に突風が……!? ぜ、ゼファーに吸い込まれ……!?」
「はい? あなたという風は、いつも感じていますが……」
「タップ!? なんだこれは!? 俺はどうなってるんだ!?」
「オイオイ、なんだ? 何が起きたっていうんでだ航海士殿?」
「シリウス! 何を──」
「今更なんだ? 子犬の保護は飼い主の務めだろうが」
「……ふ、フジ! ここから出してくれ!」
「?……ごめん、トレーナーさんが何を言っているのかよくわからないな」
トレーナーたちが次々と担当ウマ娘の谷間の中へと吸い込まれていく。
男女、大小関係なく。僅かにでも胸元が見える勝負服であれば、手のひらよりも小さく縮小されて、その中へと収められていく。
「理事長! 一体どうなってるんですか!?」
「? 一体、とは……?」
「お、乙名史さん! 助けを呼んでもらえますか!?」
「えっ?」
それをおかしいと感じているのはトレーナー達だけ。
理事長も記者も、トレセンに関係者も外部者も、この光景を常識として受け入れていた。
まだ担当の谷間に取り込まれていないトレーナー達は、この事態を解決しようと動いていた。
しかし。
「あれ……ミホノブルボンさん? あなたのトレーナーは?」
「はい。マスターであれば、このネクタイの下に」
「アドマイヤベガ……? 今日呼んだのは、君のトレーナーであって君ではないけど……」
「ええ。だから、来てる。あの人はここにいるから」
「……デュランダル? 君のその胸元の、人型の膨らみ……まさか」
「ふふ。いかなる外敵からも我が主を御守りする、鉄壁の領域です」
日を追うごとに、担当達の胸の中に飲み込まれていく。
流す汗を全身に浴び、呼吸は担当の匂いに染まる。
トレセン学園が示す、トレーナーとウマ娘の一心同体の形だった。
「どうなっているんだ……本当に……」
その中で、一人のトレーナーが頭を抱えていた。
彼はダンツフレームのトレーナーで、まだ谷間の外にいる。ダンツの勝負服は上半身の露出が少なく、また谷間も形作られてはいないからだ。
しかし、この事態を解決する術も持ち合わせておらず──
「トレーナーさん? 少し、お時間貰えますか? ダンスの練習がしたくて」
「……ああ。わかった。ちょっと待っ」
──その身体が、浮遊感に包まれた。
比喩ではなく、身体が浮いた。
しかしここは室内。窓も締め切られたトレーナー室。
よって──
「……あ……」
──彼が行き着く先は、担当の谷間しか有り得ない。
STARTING FUTURE。ライブの為の衣装。
その胸元は、開かれている。
担当の谷間に挟まりたい気持ちはわかる
混乱! まるでトレーナーに人権が無いかのようなことを言うではないか
トレセン学園だろ!
そう考えたトレーナーもいた。そもそも『谷間』が存在し得ないウマ娘であれば。胸のサイズが小さい彼女であれば、と。
その担当トレーナーは、今──
「……いつになったら、この夢は覚めるんだ……」
「? すみません、寝不足なんですか?」
──スズカの、胸の中にいた。
担当の胸が小さいのであれば、さらに小さく。
小指の先よりもさらに小さく縮小されたサイレンススズカのトレーナーは、スズカの薄い皮下脂肪でも問題なく包み込めるようになっていた。
その声は最早スズカ以外には届かない。スズカ以外がその存在を認識するには、虫眼鏡か顕微鏡が必要となるだろう。
「とりあえず、走ってきますね」
スズカが一歩踏み出すと、トレーナーの身体は、隙間なくスズカの中へと沈み──潜り込んでいった。
コックピットかよ
人バ一体かよ
二度と離れないようにより深く沈むことになる
──それは、本当に偶然だった。
寝相で強く寝返りを打ったヴィブロスの胸が大きく揺れて、隙間が出来た一瞬。
転がり落ちるように、ヴィブロスのトレーナーは胸の谷間から弾き出された。
……?
状況を理解するまでにかかった時間は数分。側には、ヴィブロスの寝顔。縮んだ身体は戻らない。
……さ、寒い……!
耐えられるはずがない。今まで担当の体温に包まれて、急にそれが奪われて。外気に晒された身体は、余りにも脆い。
結果として、ヴィブロスのトレーナーは選択の余地もなく──自ら、彼女の胸の中へと身を沈めていった。
欲はないよ
これが当たり前なんだから
そうだった
トレーナーは担当ウマ娘様にすべてを捧げるのが当たり前だった