専属トレーナーによるコーチングを一度も受ける事なく卒業してしまうダイヤの原石たるウマ娘がもし存在したら、それは非常にもったいないのではないか?と理事長・たづな両氏が懸念した為に発足された新しいウマ娘育成体系の一種である。
既に優秀なウマ娘を育て上げた実績のあるトレーナー達を何人か講師として選抜し、専属トレーナーと契約を交わしていないフリーのウマ娘達に数日間だけトレーナーとしてコーチングを行ってもらうという企画だった。
「実験ッ!これが上手く行ったなら企画に留まらず、今後も同制度を設けて定期的に開催して行く所存である!!」
責任重大な白羽の矢が立ったトレーナーは全部で三人だった。
スイープトウショウのトレーナーは、非常に気性に難のある彼女とトラブルを起こす事なく二人三脚で三年間を駆け抜けた事が評価され選ばれた。
アグネスタキオンのトレーナーは光っているので断念し、ゴールドシップのトレーナーは漁船へ。
その他様々な事情と思惑が交錯した結果、三人目の講師にはヒシミラクルのトレーナーが選ばれる事となった。
「ミラ子のトレーナーさんってさ、結構かっこいいよね」
「へ?」
「それな。あたしもミラ子のトレーナーさんだから申し込んだけど、惚れちゃったらどうしよう」
「いやぁ〜あはは……どうかなぁ…」
「何そのリアクション。もっと慌てて欲しいんだけど」
他愛のない冗談だとわかっているから。というのもあるが、実際本気の言葉だったとしてもヒシミラクルには感情の動かし方がわからない内容ではあった。
彼女たちは一度も専属のトレーナーが付いたことのない、つまり前述の制度の対象者である。友人であるヒシミラクルのトレーナーが講師として参加しているなら、折角だし普段の彼女の特訓を体験してみるのも面白そうだと思って申し込み用紙を提出したのだ。
「ミラ子さ…もしかして、トレーナーさんの事嫌い?」
「ええっ?そんな事ないよ!」
「じゃあ、好きなの?」
シニカルなウマ娘は眉根を寄せてヒシミラクルに顔面を近付けて問い詰める。
「はぁー……」
友人二人のため息がハーモニー及び木霊した。
朗らかなウマ娘が「歯切れ悪ゥ〜」と呆れた声を上げると、昼休憩終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。
例の制度の開始日はもう翌日に迫っている。
「はい?」
「あんたのトレーナーだよ!とんでもない鬼教官じゃん!」
『トレーナー体験制度』は無事初日を迎え、終える事ができた。全体的な評判は今のところ上々といった塩梅だったが、一部ウマ娘からは不満の声も上がっているようだ。
「あれ、わたし言わなかったっけ」
「言ったよ!!!?伝わってないけど!」
「ほんと、想像超えてくるなら言ってよねー」
「それは想像の世界に文句を言って欲しいかも…」
「郷愁に浸ったような面構えをしよってからに…」
「ミラ子、アンタあれが好きなの?」
うええとまたもや返事に困ってしまうヒシミラクル。なぜすぐそういう話に転ぶのだろう。
「あのトレーナーさんが好きなの?トレーニング中は表情を変えなくて!100mくらい先にいても耳元で叫んでるようなデカい声の!」
「時々挟んでくる英語が不気味で、何も持ってないのに竹刀が見える、ウマ娘を家畜か何かだと思ってそうなあのトレーナーが好きなの?ミラ子?」
「そ、そこまで言わなくても…」
「うーん……うーんと…むむむ…」
(わたしに無断でトレーニングの量増やすし…執拗にプールで泳がせようとするし…冗談が通じなくてトレーニング量が増えたり…すぐおなか触ってきたり…声がデカい…のは同意…えーと…)
「うーん…う〜ん…」
「ほら、やっぱりおかしいってあんた」
「ミラ子…」
「いやいやいや!良いところもあるんだって!」
具体性の無さすぎる擁護は友人達には聞き入れて貰えなかった。恩師への感謝が足りなさすぎる、と自分を戒め反省する一方で、すぐカンカンするトレーナーさんの自業自得でもあるんですよと心の中で叱っておく。
「ミラ子、ちょっと…」
「トレーナーさん?」
なんでも、見て欲しい物があるらしい。断る理由も無く無駄に時間はあるので、言われるがままに彼女はトレーナーに着いて行くことにした。
広いトレセン学園の中をしばらく歩くと、トレーナーの方から声がかかった。
「はい、これ」
「え?」
飾り気の無い、白く小さな箱がトレーナーから渡される。手のひらに乗るほどのサイズだ。
「なんですかこれ」
「開けてみて」
「これ…覚えててくれたんですね。もう諦めてたのに…」
「知り合いに服飾関係の仕事をやってる人がいてな…」
「嬉しいです!でも…」
何故今日なんだろう?という視線を投げかけると、察したように、恥ずかしげに答え始めた。
「引退してからミラ子にあんまり会えてなくて、寂しくてさ。今日は君の初勝利から2年目の記念日だからちょうどいいかなと思って」
付き合いたてのカップルか!と、朗らかなウマ娘がその場にいたらそう突っ込んでいたかもしれないな、とヒシミラクルは思う。なんだかこちらも恥ずかしくなってきた。けれど────
(こういう素直で、ストレートで裏表のないところが素敵なんだよなー)
菊花賞の出走書類は勝手に出すけど…と自らのモノローグに付け足した。
キョロキョロと辺りを見回すが暗くてよく見えない。塩素のような匂いがする。
「実はプレゼントはもう一つあるんだ」
そう言ってトレーナーが明かりを付けると、ヒシミラクルの目に大きなプールが飛び込んできた。
普段授業やトレーニングで使っている場所とは違う。誰も泳いでいない、貸切状態の地獄の釜だ。
「その髪飾り、防水加工してあるから髪を後ろで束ねるのに便利だと思うよ」
トレーナーの手には事前に用意したであろうヒシミラクルの水着が握られていた。
「鬼!悪魔!変態!水泳の先生!」
悲鳴と罵倒と笑い声が二人だけの空間に響いた。
>普段授業やトレーニングで使っている場所とは違う。誰も泳いでいない、貸切状態の地獄の釜だ。
ははは
地獄の釜はもっと煮えたぎってるさ
>トレーナーの手には事前に用意したであろうヒシミラクルの水着が握られていた。
一歩間違えれば変態の所業
数歩通り過ぎてない?
ありがとう…