思わず、愚痴も出るというもの
冬の堤防に吹く風は冷たく、今日は特に冷え込む一日
今日も釣りに出ると言ったら、キングが本気で呆れてたし
手に持った竿から足元に垂らした仕掛けは反応なし。そして……もう一本
ロッドスタンドに立てかけたもう一本の竿にも、反応らしい反応は無かった
「ていうか……まさか」
はっと。置き竿の方を投げ込んでから経った時間から、ある嫌な予感が一つ生まれた
まさか、と思ってドラグを締め込み、ゆっくり巻いて回収してみると………
「あー!!!!また食い逃げ!!!」
そこにはアジ……そう、食卓によく並ぶあのアジが取り付けられていたのだが……
「うぅぅぅぅ。この食べ方はエソかなぁ………」
アジの体は半分だけしか残っていなかった。見事に食い荒らされた仕掛けを見て大きくため息をつき、膝から崩れてしまう
もう何度目だろうか。さっきからこれの繰り返し
今やっているのは、俗にいう『泳がせ釣り』
針の先に生きた魚を活かしたまま付けて自然に泳がせることで、それを捕食するもっと大型の魚を狙うという釣法。別に特別な事は何もなく、仕掛けだって本当にシンプルだ
だけど釣れた時には思いもよらぬ大物がかかることもある。当たればデカいその釣り方を今日は試みているのだけど………さっきから、イカだのエソだの、食い逃げ犯が跋扈していて活き餌のアジを食われてお終いという結果ばかりに終わっている
ぶつぶつ文句を言いながら、エアーポンプを入れて生かしておいた新しいアジを取り付ける
そのクーラーボックスに入っているアジは、今取り付けたアジを除いてあと一匹
つまりはこれが、今の自分に残された残弾ということになる
「今日はお魚の機嫌が悪いなぁ」
実際は機嫌云々ではないけれど、そんなことをぼやきながら新しいアジをえいやっと海へ投げ込む
そう、生きた魚を餌にするということはまずその生きた魚を手に入れる必要がある。つまりこの場合、アジを手に入れるために別に釣りをする必要があるのだけど……
そのために行ってるアジ釣りの方も結果は現在に至るまで散々なもの。思い出したかのように一匹釣れて、そのあとしばし音沙汰無し。これの繰り返し
なので、セイちゃんは今ダブルピンチを迎えてます
一つ。大物狙いの泳がせ釣りが空振りに終わるどころか続行すら不可能になる
二つ。仕方ないからアジを持って帰ろうという逃げ道すらも残されてない
すると、手に持った竿先に反応あり。やっときたか、と思ったら……この引きごたえは、よーく知っている
「……やあ」
ぷくーって膨れたその顔を見つめて、こっちもぷくーっと頬を膨らませて返す
この惨状を見かねてか、さっきからやたら遊びに来るフグだけど……なんだかもう、今日みたいな日は釣るほどに気力が削がれていく感じだ
「もう引き上げようかなぁ」
そこそこ釣りをやってれば、空のクーラーボックスを担いで帰った日なんてそれこそたくさんある。今日もそのうちの一つだったというだけだ
仕方ない仕方ない。そう思ってやり過ごそう
……いや、正直相当がっくり来てますけど。今帰ったら、多分お風呂入ってそのままクスンと横になっちゃうけど
「久々の丸坊主………」
と、言いかけた瞬間だった
「………え!?」
これはつまり、アジなんて比較にならない凄まじい大きさの何かが糸を引っ張っているということで………
「う、うわぁ!!!」
慌てて置き竿を手に取り、リールのドラグを締め直す
そして一呼吸置いて……えいっ!!!と、竿を天を突かんばかりにつき上げた
「ノッたぁ!!!!!!」
確かに魚が喰らいつき、針がかかった感覚。それも、これはかなり大きい
竿は折れんばかりに大きくしなり、締めたはずのリールからは未だに糸が吐きだされる。こんな強い引きはここしばらく出会えていなかったクラスだ
足元をしっかり踏ん張って、竿を何とか立てていく。すぐにあげるのは無理だ。少しでも相手の体力を奪って消耗させなければ
糸も針も、大物を想定したもの。余程のことがなければあっさり切られて終わり、ということはないと信じたい
いっそ太刀魚用のワイヤーでも使えばよかった、なんて今になって思う。一体何を引っ掛けてしまったんだ
「アカエイだなんてオチは、やめてよね…!!」
考えられる内の最悪の想定がそれだ。もしもそうだった場合、最悪糸を切るしかなくなってしまう
なけなしのエサでようやく釣れた獲物、逃したくはない。ゆっくりと、確実に寄せつつ竿の弾力を活かして体力を奪う
そして、ついに獲物の姿が見えてきた。それは、想像していた中でも……
思わず、歓声を上げてしまう程には……素晴らしい結果だった
「大当たりぃ!!!!」
「至福至福ぅ……」
散々海風にさらされて冷え切った体をお風呂で温めた後のニンジンジュース。何とも幸せなひとときだ
だけど、ここからが本番。今からこの調理場は戦場になるんだから
「さてさて、ご開帳〜」
るんるん気分でクーラーボックスを開けて、中に鎮座していた獲物を取り出す
ズドンっと言いそうな程に重いそれは、今日の苦労全てが報われた大戦果だ
「65センチ……座布団サイズとまではいかなかったかぁ」
70センチを超えたヒラメは座布団ヒラメ、なんて呼ばれたりするけど残念ながらそこまではいかなかった。だけど釣果としてはこれ以上ない最高の成果。思わずその巨体を撫で回してにっこりだ
寒い時期にも狙えるターゲットとしてはわかっていたけど、こんな立派なサイズのが釣れてくれるなんて。シクシクと横にならずに済んで本当によかった
「さー、捌いていくよ」
今回はサイズがサイズなので、ウロコを落とすのは金ダワシ。ガシガシ擦ってしっかり綺麗にしていく
そしたら頭に気をつけて切れ込みを入れる。この時に内臓を破いてしまうと大惨事なのでゆっくり丁寧に
反対からも切れ込みを入れて丁寧に頭を落として内臓を抜く。中をしっかり丁寧に洗って血合を落とす
「うわぁ、大きな肝」
「で、今日は……お刺身がメインだから…」
体の真ん中に切れ込みを骨まで入れて、削ぎ落とすようにしていく。それを両面やれば、5枚下ろしの完成だ
そしたら中骨と腹骨を取り除いて……えんがわを丁寧に切り落とす。ここが最高の楽しみなんだよねー
最後に丁寧に皮をひいて、これでお刺身用の準備は完了
で、サクにしたうち一部をとっておく。これは今日は食べません。後のお楽しみ用
「まずはお刺身お刺身」
そしたら小ネギを少し散らしておいて、これでお刺身は完成
そしたらもう一つお刺身のようにして盛り付けて、そこにミニトマトのスライスを乗せて、バジルとレモン汁とオリーブオイル、岩塩。そして粗挽きブラックペッパー
これを冷蔵庫に入れてしばらく寝かせる。美味しいカルパッチョ、お手軽バージョン
続いて、アラに熱湯をかけて霜降り処理。火傷しないように丁寧に流水で洗い流して、切っておいた大根とにんじん、長ネギと一緒に水と料理酒を張った鍋に入れて火にかける
沸騰したら中火にしてアクを徹底的に取る。そしたらお味噌を溶き入れて、あら汁の完成。やっぱりお魚のアラはこうして食べるのが一番だよね
「で、これはっと」
そして……表面を料理酒で拭いた昆布を2枚用意して、それで身を挟む。ラップで包んで紐で縛って冷蔵庫へ
これで明日には美味しいヒラメの昆布締めができてるはずだ。明日は釣りに出れないし、ちょっとしたお楽しみ
「さてさて、最後に……」
えんがわの一部をフライパンに乗せて、取り出したるはガスバーナー
これで軽く炙れば……贅沢の極み。天然ヒラメの炙りえんがわ刺しだ
これでもういいだろう。ご飯をよそって、席に着く
「だいぶ豪勢になっちゃったなぁ」
ご飯
ヒラメの刺身・炙り刺し
ヒラメのカルパッチョ
ヒラメのあら汁
「それじゃあ…」
手を合わせて、目を瞑って
「いただきます」
適度な歯ごたえの食感に、ほんのりとした香りと甘さ。散らした小ネギがいいアクセントになっていて、醤油だけじゃなくてポン酢との相性も抜群
えんがわのお刺身も勿論最高。よくのった脂が旨味となって口の中にじんわり広がってくる
続いてはカルパッチョ。程よい酸味がヒラメの脂と相まって口の中でふわりと広がり、バジルの香りが後を追ってくる
身の甘みは上品なんだけど決して弱くはないので、酸味やオイルに一切負けていない。これは大当たりだ
「んー、美味しい。やっぱヒラメの生は格別だよね」
だけど、もちろん生だけじゃない。続いてはあら汁を啜る
ビックリするくらい濃厚なお出汁が出てて、ほうっと安心するいい香り
実は少しだけ肝を入れてあって、それがまた濃厚でいい味してるんです
今度は、叩いた肝を溶いた肝醤油と肝ポン酢で
さっきとは全く別物。濃厚な風味がねっとりと身に絡みついて、二つの甘さがお互いを引き立て合ってる
肝ポン酢はまた面白い感じだ。濃厚なんだけど、それをポン酢の酸味と香りがさらっと流してくどさを全く感じない仕上がりに
肝自体のお刺身も……うわぁ、ねっとり濃厚。臭みの無い奥深い甘味。これはハマる人が多いのも納得できる
少しだけ残して冷蔵庫に入れてあるので、それは明日蒸すか何かして食べてみよう
白子はその時に煮付けにして食べる予定。今日は時間が足りなかったので、いったん割愛した
となると、明日のメニューはヒラメの昆布締め、肝蒸し、白子の煮付け……どうしよう、凄く贅沢な二日間になっちゃった
「さて、と。忘れちゃいけないよね」
……あ、凄い。凄く、凄い。語彙力が遥かイスカンダルまで飛んでいくくらいにはすごい
確かな食感はあるのに、舌の上でとろけるような脂。噛めば噛むほど溢れ出す甘味と脂に思わず身をよじってしまう
こんなのご飯がいくらあっても足りはしない。お店で食べたらとんでもないお値段になりそうなそれを食べられるのも、きっと釣り人の特権だ
すかさずあら汁を飲んで。あら汁の中の中骨についた身もしっかりいただきます
「ふぅ、いつの間にか食べ終わっちゃった」
最後の炙りえんがわを食べて、気が付けばすっかりお皿はすっからかんに
お茶を飲んでほっと一息。何とも幸せな時間を過ごせたものだ
完全に折れかけてた心だったけど、ギリギリで掴み取ったチャンスをものにできた達成感が今だに胸の内で燻っている
ただ美味しい魚を食べたければ魚屋か飲食店に行くのが一番早いし確実なのはそれはそう
だけど、それを自分で手に入れる試行錯誤と達成感、思わぬ獲物に踊る心。これは、実際に海に出て竿を出さなければ味わえない
ああ、釣りが好きでよかったと。こういう時にしみじみと感じ入ってしまう
「さてと、それじゃあ」
まだ見ぬ獲物を求めて。探し求める大物を狙って。不意のゲストに喜んで
だけど、今はまずやるべきことを
両手を合わせて目を瞑り。今日の釣りに纏わる全てと、頂いた命に敬意をもって
「………ごちそうさまでした」
また次の釣りも、楽しく美味しい一日になりますように
セイちゃんいいもの食ってんな
サクを残して昆布締めにしたい
たまにアジが釣れなくて堤防の上で絶望するけど
…家に帰ってから家族総出で酢〆にするのがしんどいくらいに
あらかわいい
左のフグください