部屋に響く担当ウマ娘の声で、俺はいつも通りにすっきりと目を覚ます。
マーチャン目覚ましのアラームを切って体を起こし、毎朝のルーチンを実行する。
「マーチャン、アストンマーチャン。俺の担当ウマ娘。ウルトラスーパーマスコットのアストンマーチャン」
ぶつぶつ、ぶつぶつと、何度も何度も記憶を反芻し、アストンマーチャンの存在を自分に刻み込んでいく。
同時に、部屋中所狭しとおかれているパカぷち、ブロマイド、記念写真などを注視する。
その全てが自分の中のアストンマーチャンと違わない、可愛らしい顔をしていることを確認する。
大丈夫。俺は今日もちゃんと覚えてる。
アストンマーチャンの事を覚えている。
国内において、マーチャンのことを知らない者はほとんどいないと言っても過言ではない。
となれば、次なるステップは当然海外進出である。
『マーちゃんは世界を股にかけるウルトラスーパーマスコットになりますので。びゅーんと飛んでいくのです』
『ですけど、まだまだ国内におけるマーちゃん啓蒙活動は続ける必要があるのです』
『なので、トレーナーさんにお任せしたいのです。海外はコーディネーターさんたちと行ってきますので』
『可愛い子には旅させよ、です。マーちゃんはウルトラプリティーなので、トレーナーさん抜きでも大丈夫です』
ということで、現在マーチャンは欧米各国を回っている最中である。
残った俺は、マーチャンに関する様々な企画の調整やメディア対応など、息を突く暇もないくらいに忙しい。
今日だって、朝からマーチャンの過去のレースについて、取材が入っていた。
「彼女のやりたいようにさせて、私はそのサポートを全力でやる。当時はそう決めていましたね」
トレセン学園の会議室にて、いつものように記者の質問を恙なくこなしていく。
何度も聞かれて、同じように答えてきたから、もはや手癖の如く口から答えを紡いでいく。
「では、次の目標はやっぱり高松宮記念制覇による2大短距離G1制覇でしょうか?」
───だから、この質問もやはりいつも通りなのだ。
「えっ? あっ、そ、そうでしたね! すいません、私、大変失礼なことを…」
「大丈夫、大丈夫ですよ。はは、記憶違いは誰にだってありますから…すいません、ちょっとお手洗いに…」
自らの不手際に狼狽し、慌てる記者をなだめた俺は、適当に理由をつけて取材を一時中座した。
「鏡、鏡を早く見ないと。落ち着け、大丈夫、大丈夫だから…」
トレセン学園の廊下を努めて冷静を装い、早歩きしていく。
トイレに駆け込むやいなや、洗面台の蛇口をひねり、ポケットから取り出したタブレットを水道水で流し込む。
「アストンマーチャン、アストンマーチャン。マーチャン…ああ、クソっ…。忘れるな、忘れちゃダメだ」
鎮静剤を飲んでも、落ち着くまでは今しばらくかかる。
その間、少しでも動悸を抑えようと、自己暗示の言葉を繰り返す。
丹田と膝に力が入らず、半ばうずくまりながら、なんとか鞄から目的のモノを取り出す。
イヤホンの絡まりをほどき、耳に突っ込んでレコーダーの再生ボタンを押す。
カチリ
『こんにちは、アストンマーチャンです。……よろしくね』
カチリ
『こんにちは、アストンマーチャンです。……よろしくね』
カチリ
『こんにちは、アストンマーチャンです。……よろしくね』
親指がボタンを押すたびに、担当バの声が何度も何度も繰り返し再生される。
そして、震える右手で開いた手帳、片方のページにはアストンマーチャンの写真が隙間なく張ってある。
そしてもう片方のページには───
『アストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャン』
『アストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャン』
『アストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャン』
『アストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャン』
『アストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャン』
『アストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャン』
『アストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャン』
『アストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャン』
『アストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャンアストンマーチャン』
ありとあらゆる手段で書いたアストンマーチャンの名前で埋め尽くされている。
全部、俺自身の手で書き込んだもの。
もう二度と、彼女を忘れまいとやっている、毎晩のルーチンの賜物だ。
「…よし、よし…忘れてない。大丈夫だ…アストンマーチャン…俺の、担当ウマ娘だ…」
最後に大きく息を吐いて、ようやく心臓の鼓動が治まったことを確認できた。
「マーチャン、安心してくれ。俺は君のことを絶対に忘れないから」
冷や汗で垂れた前髪の隙間から、鏡の向こうにある自分の目をにらみつける。
もう二度と彼女を忘れるなと、自らに言い聞かせ、戒める。
いつからか始めた精神安定のためのグッズ製作で、また一つマーチャングッズが増える。
せめてマーチャンが帰ってくるまでに、自室がマーチャンで埋まらないことを祈るばかりだ。
まあ元からネジがぶっ飛んでるからこういう方向にもいきそうかなって思いました
マーチャンを忘れてた時のことを思い出してパニック障害引き起こしてるみたいな
トレーナーは春になると精神が悪くなる
波の音に背を向けた時点で大丈夫だと思うけど確証は取れないしね
マーチャンが「すいませんトレーナーさんちょっとトイレに寄ってたのです」って言ってひょっこり出てくるけどトレーナーが一気に絶不調になる
頼りにしてるから国内のアレコレを任せた
そしたらトレーナーの精神がバグった
…子供しかならんやつでは
子供みたいに純粋なんだよ…
(クビになる)