「いえいえ、私は疲れていませんので。トレーナーさんが座ってください」
「そうは言っても終点までまだ半分くらいだぞ」
「私のほうがトレーナーさんよりも体力があるのはご存知でしょう?別のところが空いたらそこに座りますので、お気になさらず」
「お気になさらず、と言いましたよね?優しいところはトレーナーさんの長所ですが、考え過ぎはよくありませんよ?」
どうも、中途半端な葛藤も彼女に見抜かれていたらしい。なんとなく自己嫌悪に陥りそうな気分を切り替えるために窓の外に意識を集中する。子供の頃から何度も見た景色。橋をわたり大きな川を超えて終点へと向かっていく。特別、非日常的な目的地に向かう訳では無いが、普段見ていた景色と少しだけ違う隣町へと移っていくこの景色が自分は好きだった。移動にバスを選んだ理由でもある。電車だと乗り換えが面倒だというのもあるが。
風景を眺めながら幼い頃の思い出に浸っているとあっという間に終点に着く。
ここから目的地までは歩いて5分ほど。道を知っている自分が彼女を先導しようと歩き出すと彼女が手を重ねてきた。一瞬戸惑うが、振り払う言い訳も思いつかなかったのでそのまま手を繋ぎながら車庫の横の細い道を通っていく。途中、住人を失ってゴミ屋敷となった一軒家や何年も前から貼り替えられていない政治家のポスターなどが目に入る。自分の記憶のまま残された街並みを見ていると、やはり昔に戻されるような感覚だ。しかし、握られた手から伝わる温もりが自分を思い出から現実へと引き戻す。目的地はすぐそこだった。
「これは……風情がありますね」
「ちょっと木が植えられてるだけだけどね。やっぱり緑があるときれいに見える」
「それじゃ、本堂に一礼してから中に入ろうか」
今日は祖母の命日、トレセン学園に就職して以来行けていなかった墓参りの日である。グラスの担当になってから3年間、自分が新人であったこともありそれほど遠くないこの場所を訪れる暇さえなかった。
「私から望んでおいてこんなことを言うのもおかしいですけれど……私もついてきてよかったのでしょうか?」
「僕はグラスが一緒に来てくれて嬉しいし、おばあちゃんもきっと喜ぶと思うよ。あの人、ひ孫を見たがってたしなぁ……」
「あらあら……」
尻尾を揺らしながら微笑む彼女を見て、自分の失言に気づく。
「あぁ、いや、ごめん。今のは変な意味とかなくて……」
「いえいえ。私も"まだ"そこまでは考えていませんので、大丈夫です」
さらっと問題発言が聞こえた気もするが、この場でそれを指摘できるほどの勇気はない。会話も程々にして墓地への道すがら売られている線香を購入し、祖母を含めた先祖が眠る墓へと向かう。
数年ぶりに見る墓石は、定期的に他の親戚が手入れをしていたようで周りと見比べても綺麗だった。
「私も少し、お手伝いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん、上の方から流してあげて」
ふと空を見上げると、夜と夕方の陣取り合戦が終わりを告げようとしていた。端に追いやられた夕日が最後の抵抗と言わんばかりにオレンジ色に空の片隅を照らす。対照的に、空の大部分は青さをどんどんと濃くしていた。空から僅かに射すオレンジ色の光がグラスの横顔を照らす。彼女にはどんな色も似合ってしまうんだな、そう思った。
「こんな感じでいいでしょうか……?」
「うん。もう十分だろう」
線香に火をつけて供えると、手を合わせて祖母を偲ぶ。目を閉じると忘れていた思い出が次々と頭の中を駆け巡る。生前、彼女自身もよくこの場所を訪れていた。どうも、女性を連れてきたとなると早とちりされそうだが、グラスのことも含めてここ数年のことをまとめて報告しなくちゃな。
………一通り報告を終えると、目を開けてグラスの様子を確認する。
「……僕のおばあちゃんに何を思ったんだい?」
「これからもトレーナーさんを見守ってくださいと……今は、それだけです」
「そっか。きっとおばあちゃんも喜ぶよ」
「次はもっと喜んでいただけるような報告をしたいですね」
そう言っていたずらっぽく微笑む彼女は、見惚れてしまうほど綺麗で。気づくと日は完全に落ちていて、辺りはすっかり暗くなっていた。
墓参りを終えると、寺を出て再び街の方向へと歩き出す。すっかり暗くなった帰り道は同じ道のはずなのに思い出とはすっかり表情が変わってしまっていた。
「せっかく一緒に来てくれたんだし、何かごちそうするよ……と言っても、この辺にお店はあまりないけど」
「でしたら………あそこなんてどうでしょう?ゆっくりお話も出来ると思いますし」
彼女が指差す先には安価で学生にも人気のファミリーレストラン。確かに、話をするには都合が良さそうだ。
店内に入るといくつか学生のグループがいるのが見えるが、夜のこの時間にしては空いていた。やる気のなさそうな店員に席を案内されるとグラスが席に着く前にドリンクバーのコーナーから水を持ってきてくれた。
「トレーナーさんもお水でよろしかったでしょうか?」
「うん、ありがとう。ささ、好きな料理を注文していいよ」
注文を終えると、彼女が注いでくれた水を体に流し込みながら今日のことを振り返る。あの頃と同じような墓参り。だけど、今日、僕の隣にはグラスが居た。その意味を考えなくてはいけないような気がして。彼女としてもここに決めた理由は料理ではなくそちらだろう。ここでなら、少しくらい長話をしても咎められることはない。
「トレーナーさんは、お祖母様のことが本当にお好きだったんですね」
「どうしてそう思ったんだい?」
「お祖母様のお話をするときのトレーナーさんのお顔、とっても優しいお顔でしたので」
どうも、自分はなんでも顔に出てしまうのか、それとも彼女の洞察力が鋭いのか。おそらくその両方の理由から、彼女は僕のことをなんでも見透かしてしまうようだった。
「素敵ですね。亡くなってもなお、そこまで人に思われるなんて」
そのまま、祖母の思い出を語っていると料理が届く。現役でレースを走るウマ娘なだけあり運ばれてきた料理の量はテーブルを埋め尽くすほどだったが、流石というべきか、彼女はその一つ一つをきれいに、しかし目に見えて減っていくのがわかるほどに手早く食べていった。こちらが料理を完食する頃には倍近くあった彼女の皿はすべて空になっていた。
「そういえばグラスはああいうお墓を見るのは初めてかな?向こうとは様式が違ったんじゃないか?」
「そうですね……もちろん、優劣がある話ではありませんが、厳かな趣があって好きでしたよ、トレーナーさんの家のお墓も」
「それはその、ありがとうって言えばいいのかな。褒めてくれてるってことなら」
「私も、最期にはあのようなきれいな場所に骨を埋めたいものです。もちろん、あなたと一緒に」
唐突に投げられた直球に、思わず飲みかけの水を気管に流しそうになった。どうも、今日の彼女は少しばかり大胆だ。
「告白……と、そう思ってくださって構いませんよ?」
「それは随分と………ヘビーだね」
「これくらい言わないと、トレーナーさんはのらりくらりと躱してしまうでしょう?立場上、返事をすることが出来ないのは分かっています。だから、今は聞くだけで。返事は来るべきに、お願いします」
気にしないようにしていたけれど、ここ最近の彼女の言動、そして今日の会話を考えれば彼女が僕を思っていてくれたのは自明であろう。彼女が言い訳を用意してくれているとはいえ、返事ができない自分がもどかしい。
「でも……なんで今日なんだい?」
「トレーナーさんの思い出に触れて、大切な人への思いを見て……私もその中に居たいと、そう思ったからです」
「そっか……」
彼女が羨むほど、自分の思い出は素晴らしいものだったんだな。そう思うと、不思議と祖母の顔が浮かんだ。もう何年も前から体を悪くしていたのに、祖父の命日には必ず墓参りに来ていた。以前の自分は、そのことが不思議でならなかった。
そう祖母は言っていた。きっと、彼女も祖父とあの場所へ行ったことがあったのだろう。大事なのは、死者に会いに行くことだけではなかったのだ。思い出に触れる、その行為が過去と今を繋いでくれるのだ。
「お水、入れてきますね」
空になったコップを2つ持ちながら彼女は席を離れる。彼女のお陰で、大切なことに気づくことができた。僕は僕の思い出を、今まで以上に大切にできそうだ。そして、これから思い出になるであろう今も。
「トレーナーさん、はい、どうぞ」
「ありがとう………ってグラス、ちょっと氷の量が違う気が……多分そっちのコップが僕の…」
言い終わらぬうちに彼女は手に持ったコップに口をつけて一気に水を飲み干してしまう。飲み終えるとわざとらしくコップのフチの一部を舌でなぞり、熱の籠もった視線をこちらに向ける。
「間接キス………ですね。はしたないと思われるかもしれませんが、これくらいは許してください」
「ハハ、参ったなぁ……」
「いつか来るその日まで……これくらいで我慢しますので。その時は、もう一度、お祖母様にご報告出来るといいですね」
「これからもお手柔らかに頼むよ、グラス。これはまぁ………まだ返事とは言えないけど」
「十分すぎるお言葉です。こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いします」
彼女と過ごした今日の出来事も、いい思い出になる気がした。
グラスとお寺とか神社とか行ってみたいよね。
毎日昼寝しろ
――いや、今か。
一瞬の判断で未来を変えた「未知なる栗毛」 。
逃げる気も起きまいが
ひ孫はまぁ流石に卒業を待ってもらうだろう
そのうち根元から切られるわ
墓参りって題材がノスタルジックに溢れてて…ありがとう…とりあえず毎日昼寝はしろ…