依頼主の男は最近ウオッカの様子がおかしいんだ、と話を切り出した。
ウオッカと仲が良いマーチャンは、彼女とトレーナーの普段の様子も知っている。お互いを「相棒」と認め合い肩を叩き合うその姿は男女の師弟というより少し歳の離れた兄弟のようであった。しかしここにいる当人の話によると今は違うらしいのだ。
「俺が目を合わせると逸らしたり、頭を撫でるとテンションが下がって大人しくなったり、肩を叩くと変な声を上げて逃げたり、ハグしようとすると逃げたりするんだ……今までこんな事は無かったのに…」
(恋の病ってやつね…哀れね、ウオッカ…)
(哀れなのです、ウオッカ)
話を聞き終わる前にスカーレットが音を立てて椅子から立ち上がった。マーチャンも続いて静かに立ち上がる。
「式には呼びなさいよ、アンタ」
「式には呼びなさいよ、なのです」
何が何だかわからない、と言った反応で座りつくす哀れな男を残して二人はトレーナー室を出た。
「自分の感情に振り回されているようじゃ駄目よ」
スカーレットはそう言ってマーチャンの前から去って行った。もちろんそんな事は心得ている。スカーレットは心の強えウマ娘だが、マーチャンもそこは負けず劣らずだ、間違える事はない。そんな事を考えながらマーチャンは帰路についた。
それが三日前の出来事である。
放課後のトレーニング中の事である。アップのランニング中に空から飛来した鳥の糞を避けたマーチャンは足を滑らせてしまった。しかしそれを予測したトレーナーがマーチャンの転んだ先にいて受け止めたおかげで大事には至らなかった。問題はそこからだった。
「マーチャン?マーチャン!!大丈夫!?」
十秒ほど体を揺すられてからはっ、と我に帰った。ボーッとしていたのです、大丈夫なのです、ごめんなさい、ありがとうと伝え、何事も無かったかのように起き上がった。念の為に保健室に行こうとトレーナーに提案されたので、その日のトレーニングはそこで終わりになった。
脳裏に浮かぶのはあの感触。トレーナーの体だ。あんなにガッシリとしているとは思わなかった。彼はどうやら着痩せするタイプのようだ。そういえば、以前に一度、着替えを覗いてしまった時に一瞬目に入った肉体は、適度に鍛え上げられた立派な筋肉が携えられていたような気がする。その頃のマーチャンは独りで戦っていたのでさほど気にはしなかった。今は違う。
「思いっきり、ぎゅーってされてしまったのです」
独り言を空中に放り投げると、より鮮明に記憶が蘇り、頬の紅潮は苛烈になっていく。要するに、女子中学生であるマーチャンが、初めてトレーナーを異性として意識するきっかけにしては、いささかダイナミックすぎたということだ。
体力が30回復した。
「夜ふかし気味」になってしまった。
「おはようマーチャン。実は次の着ぐるみのことで相談が…マーチャン?」
十秒ほど経過し、また自分が昨日のように上の空になっていた事に気付く。焦点を合わせると数センチ先にトレーナーの顔があった。
「大丈夫?具合悪い?」
マーチャンはたまらず、マーチャン人形をトレーナーの顔面に投擲してその場をダッシュで去ってしまった。
一限目の授業を終えた休憩時間に、マーチャンは風でも浴びようと屋上へ向かった。
「マーチャン、ちょっといいかな」
何故か既に屋上にいたトレーナーに、マーチャン人形をぶつけて逃げた。
「マーチャン!次の銅像のポーズなんだけど…」
木の上からトレーナーが逆さまに顔を出した。マーチャン人形をぶつけて逃げた。
放課後、掃除当番であったマーチャンは掃除用具の入ったロッカーを開けようとすると────
「マーチャン、明日の4コマ漫画なんだけど…」
マーチャン人形をトレーナーの口に詰め込んで、掃除当番をサボった。
「マーチャンは、おかしくなってしまったのです…」
気配を殺し、遠くからトレーナーの姿を窺う。あの服の下に、あの立派な肉体があるのだ。そう思うとマーチャンは冷静ではいられなかった。ふと我に帰ると、視界にトレーナーの姿は無かった。
「マーチャン?今日はトレーニング休みだけど…」
背後からトレーナーの声がした。振り返らずにマーチャン人形を射出して、ロケットのように逃げ出した。
「スカーレットならきっとなんとかしてくれるのです」
ダイワスカーレット。様々な重賞を勝利し、勉学も優秀で恋愛にも詳しい彼女は頼りになる。同年代だが、人生の先輩のような雰囲気を時折り感じる強えウマ娘だ。彼女に相談すれば、このわけのわからない動悸の正体と解決法がわかるかもしれない。そう思って、彼女とウオッカが暮らす部屋へと向かった。
「スカーレット、相談があるのです」
こんこん、とノックをするが返事がない。人の気配も無いので二人とも留守のようだ。なんとなくノブを回すと、どうやら鍵を閉め忘れている。
「不用心なのです……ん?これは…」
スカーレットの机を見ると、一枚の紙が目に入った。内容を確かめるとどうやらマーチャンへ宛てた書き置きのような手紙だった。
私はトゥインクルシリーズの三年間において、いつも最短の道を選びました。でも一番の近道は遠回りだと今日、気が付きました。遠回りこそがアタシの最短の道だった。
今日から一週間、トレーナーと旅行に行ってきます。
マーチャンに一つ言葉を贈ります。
自分の感情に振り回されるのも悪くないわよ!
ダイワスカーレットより
「スカーレット……」
マーチャンは部屋を出て、駆け出した。
「マーチャン!?なんでここに…もう遅いから帰らないと」
「トレーナーさんに新しい着ぐるみの試作品を持ってきたのです」
「新しい着ぐるみ!?」
トレーナーの表情が驚きから期待の笑顔に変わる。マーチャンは後ろに置いた大きな袋からマーチャン着ぐるみを取り出した。
「今までと同じように見えるけど…」
「二人羽織なのです。これは二人で動かすのです」
トレーナーの感情は少しずつ、再び困惑に傾きつつあった。こんな時間に新しい着ぐるみを持ってきたこともそうだが、いつものマーチャンのような余裕のある不適な笑みが無い。珍しく、焦っているような、急かしているような雰囲気だ。しかも何故か息が荒い。
新型アストンマーチャンマーチャン着ぐるみは、中に二人の人間が入ってそれぞれ動かす部位を分担する、という画期的な構造だった。内部ではトレーナーが前を向き、マーチャンが後ろを向いている体勢になっている。ちょうどマーチャンの顔がトレーナーの胸の位置に来て、しかも密着しているというおかしな体勢だ。
「マーチャンこれすごいけど…大丈夫?息できる?」
「ふぁい。もんらいありまふぇん」
「何言ってるかわからないよ」
「マーチャン?大丈夫?」
「も、もうちょっとらけ…あと五分なのれす…」
そう言ってからほどなくして、マーチャンの体から力が抜けた。
「マーチャン?マーチャン!?マーチャーーーーーーーーン !!!!!!!」
トレーナーはすぐさま着ぐるみからマーチャンと共に脱出し、彼女を介抱してあげた。
「マーチャン大丈夫!?しっかりして!」
「し、刺激が強すぎたのです…」
その時のマーチャンは、目をグルグルと回して鼻血まで出していたと言います。
何故か「トレーナーの筋肉に欲情が止まらなくなるアストンマーチャン」が天から降りてきたので書きました。
その一 友への助言は真摯に行え
その二 やられる前にやれ
その三 徹底的にやれ
その四 それはそれ、これはこれ
その五 獲物は逃すな
その六 納税は余裕を持って行え
その七 汝の伴侶を信じよ
その八 汝の伴侶を信じるな
その九 一番前を走ってるやつが一番速い
その十 汝の肉体を信じよ
ウワーッ!どうとでも解釈できるやつばっかじゃねーか!
後から後から追加されていった雰囲気を感じる
>その六 納税は余裕を持って行え
これたぶん将来のこと考えた時にぶちあたったな…
>その七 汝の伴侶を信じよ
その八 汝の伴侶を信じるな
どっちかにしろや!
その時に都合がいい方を持ち出せば良い
それはそれ
これはこれ!
>その十 汝の肉体を信じよ
最終的にここに着陸するんだから一緒よ
いや内容も犯罪だ
ヘラクレスが行った十二の試練も本来は十の難題だったといいます
都合に応じて増えるのは過去からよくあることです
背後からトレーナーの声がした。振り返らずにマーチャン人形を射出して、ロケットのように逃げ出した。
これは感情に振り回されてなくても逃げるだろ
ああいうのこそ吹っ切れてからは速いのよね…
家事全般をかなりのレベルでこなせるのはポイント倍点なのよね…
…