慣れればそんなに困ることはないだろうと鷹をくくっていたが、一つだけどうにもならない事が見つかった
「……う〜ん、やっぱり読めないな」
目をしかめながら、文字の並んだプリントを両手で持ってああでもないこうでもないとにらめっこを続けてはや数分
「あの…」
文字と文字の間に歯抜けになった空白が幾つかあり、前後の文脈ではどうしても補えきれない部分もあった
「あの…!」
と、ここで、スキャンをしてPCで開けば解決するかもしれない!とようやく思い至り、はっと顔を上げたところで
「トレーナーさん、あの…!」
「わっ!?」
「きゃっ!?」
鼻と鼻がぶつかりそうな至近距離に、突然スティルインラブの美しい顔が現れた
思わず驚いてしまい、彼女もこちらの驚きに反射的に反応した結果
2人はおでこどうしを軽くごっつんこしてしまった
「そう…なんですか。赤い文字が背景に溶け込んで、見えなくなってしまわれたのですね」
「うん、そうなんだ。他は大丈夫みたいなんだけどね、こればっかりはどうしようもなくてさ」
隣にいるスティルに教わりながら、自分からは歯抜けになっているようにしか見えないプリントの文章に、ペンで文字を書き加えていく
しかし実際には、赤色で書かれた文字をわざわざ黒く上書きしている実に滑稽な行為をしているのだ
「暗記用に、赤い半透明のシートで赤く書かれたテキストが隠せる単語帳があるだろう?
まさに、今の視界はそんな状態なんだ」
「まぁ、それは本当にお困りでしょう…」
説明を終えると、スティルがとても深刻そうな顔をしているのに気づき、笑顔で軽く首を振ってみせた
「そんなことはないよ。こうやって、スティルにすぐ傍で助けて貰えるんだから、むしろ役得さ」
今の自分の虹彩では文字と同じく透過されてしまい
もう判別がつかなくなっていたからだ
だが、幸いなことに、視線を逸らしつつ両頬に手を当てる可愛らしい仕草で気づくことができたので
それを悟られて余計に心配を与えることも回避できたようだ
この程度で身体の不調が収まってくれるのであれば、今まで通りスティルを支えていけるだろう
そう思っていたのだが―――
思わぬ伏兵が、よりにもよって宝塚記念の当日に姿を現したのである
「トレーナーさん、着替えが終わりましたので失礼いたします」
そういって彼女は控え室へと入ってきた
「ああ、ついにレースももう間もなくだね。投票をしてくれたファンの期待…に…」
彼女の方へと振り返った瞬間、ぎょっと身体は硬直し、思考は停止し、紡ぎかけた言葉は途中も雲散霧消してしまった
「トレーナー…さん…?」
スティルはいつもの声色できょとんとしており、首を傾げて不思議そうにこちらを見ている
すると、おかしいのは彼女ではなく自分の方だ。世界の常識が突然変質したりなどはしない。当たり前である
数秒を経て、身体が再び動くようになったのを確認するや否や、己の両頬をバチン!と思いっきり叩き、目を強くこすり
そして首をブンブン振った
目の前で突然始まったトレーナーの奇行にスティルはびっくりしているようだが
それに配慮していられる余裕は、申し訳ないが今の自分には皆無だった
新調したり、大胆なデザインのアレンジはしていないよね?」
「??…はい、もちろんです。補修のために仕立て直しはしましたが、変えた部分はありませんよ」
「そうだよな…だよな。ごめんね、ただの思い違いだったみたいだ」
「はぁ…。ところで、トレーナーさん?先程から、ずっと目を瞑っているようですが、どうかされたのですか?」
やはり不自然すぎて気付かれてしまった。意を決して、片目だけを薄っすらと開けてスティルの姿を今一度確認しようと試みる
…半裸!アンダーバストに巻かれた水色のリボンは纏っているものの、そこから上にあるはずの赤い布地がどうしても視認できない
「うぐぅっ!!」
反射的にすっとんきょうな声を上げてしまい、今度は両手で目を覆ってそのまま床に座り込んでしまった
虹彩が紅に染まった結果、プリントに書かれた赤文字や、スティルが頬を染める様子などは透過されてしまい
視認できなくなっていた。それは紛うことなき事実だ。しかし、しかし
(まさか、真っ赤な衣装と肌の境界まで透過されて見分けがつかなくなってしまうだなんて…!)
光学迷彩のように輪郭だけが曖昧に見えており、水色のフリルや薄いデニール地の二ーソックスは宙に浮いているようだった
と、不意に自身の視界が上昇したような錯覚に陥った。スティルが前かがみになって、こちらの視線に高さを揃えてきたからだ
「トレーナーさん?ご気分が優れないようでしたら、お医者さんを…」
「ううんっ全然大丈夫!平気平気っ、この通りさっ!!」
入れ違いに立ち上がって、ガッツポーズを取って見せる。半分やけっぱちだ。視点は斜め上を常に向けるように心がけた
ちょっとでも視線を下げようものなら、赤色を全て色白の肌色に錯覚してしまう己の視界によって
腰のリボンから上がトップレスにしか見えない艶めかしいスティルがそこにいる
控えめな彼女にしては大胆なオフショルダーの勝負服デザインが、残酷なまでに錯覚の効果を引き上げているようだ
このままでは、レースを目前にしてスティルの内なる紅とこちらの内なる獣のどちらが先に目覚めるかの競争が始まりかねない
「トレーナーさん、あの…1つ、お願いがありまして」
「何かな?」
「腰のリボンがどうしても上手く結べていないような気がするのです…ぜひ、近くで見て頂けますか?」
「アッハイ」
拒否などできようものか。しかし必然、腰を再び降ろして彼女の胸元に顔を近づけざるを得ない。詰み、である
…これは勝負服、これは勝負服、これは勝負服、勝負服勝負服勝負服服服服フクフクフクフクフクフク
極力余計な事を考えぬよう、床に片膝をついて彼女のリボンを持ち、結び具合を確認した
…ふむ、特に違和感は無い。リボンの帯の直上にずっと肌色が広がっている事を除けば、であるが
大丈夫そうだよ、そう声を掛けようとしたところで、するりとスティルの両手がこちらの頬をそっと包み込み
優しく、しかし逆らうことを許さないといった一方的な動きでくい、と顔を上に向けさせた
そこには、恍惚とした表情のスティルが、とても悦しそうに。こちらを見下ろしていた
「ウフフ。様子がおかしいと思ったら、『そういう事』だったのね」
ぎくり。まるで全て理解っているかのような物言いに、背筋が凍りつき我が獣は鳴りを潜め…てくれれば良かったのだが
残念ながら据え置きである。内なる紅は、なおも続けた
「その瞳で間近から見るワタシ達の勝負服、素敵でしょう?大丈夫、『眷属』にしかそう見えないご褒美だから」
けん…何だって?動揺しすぎて半分も脳に入ってこないが、とりあえずバレテーラということらしい
「では、あの。1つ質問が」
どうしても気になったので、この際だと開き直って聞いてみることにした
「なぁに?私達の愛しいトレーナーさん」
「普段のスティルは、その隠し要素を知っておいでで?」
「……」
流れる沈黙。数秒置いて、小刻みに揺れ始める彼女の躰、そして瞳には徐々に涙が溜まり始めていた
あっ。これは絶対に知らなかった奴だなー
「そんなッ!はっ、はっ…はした……〜〜〜〜〜!!」
声にならない声を上げながら、控え室の扉をバタンと開けて地下バ道へと続く長い廊下を駆けていく
「フフフフッ!アハハハハッ!今日の狂宴も楽しい事になりそうね―――!!」
スティルと意識が混ざり合っているのか、せめぎ合っているのか、内なる紅も時々叫んでいるのが聞こえてくる
そんな彼女(達)をやや前屈み気味の姿勢で追いかけながら、ふと思う
こんな日々が続くのなら、悪くはないだろうな、心から楽しめるだろうな。と
そして、以前に見た内なる紅がデザインしたというはしたない勝負服は今の赤いの視界だとほぼ素っ裸ですよね。と
想像したら前屈み具合が強くなったが、その理由はスティルにはもちろん秘密だ
>このままでは、レースを目前にしてスティルの内なる紅とこちらの内なる獣のどちらが先に目覚めるかの競争が始まりかねない
やかましいよ!
広大なネットの海を探すと先達がちゃんといたので安心して放流できました
それはさておき紅ちゃんデザインのはしたない勝負服見も是非拝んでみたいですよね
>ゼファーは全裸が理想
そうかな…そうかも
>スズカさんは全裸でも構わない派
そうだったかなぁ!?
スズカさんは脱いだこと忘れて走ってただけ