なんたって、この原稿を今月中に終わらせなければあたしの新刊は間に合わないのだから……
「どう? デジタル、その原稿っていうのは?」
「うぐぅ。いい感じではあるんですけど……やっぱりもっと時間が欲しいです」
「来月までだっけ? 練習終わりと休日だけだと間に合わなさそう?」
「正直もっと時間は欲しいですねぇ……クオリティも妥協したくないですし」
元はと言えばあたしが大ボケしていたのが原因なので、自業自得ではあるのだ。勢いだけで合同誌に寄稿することを決めてしまったものの、出走レースの関係上、実質残された猶予は2週間だった。
やっぱり徹夜テンションで同人誌への参加を決めるのは愚行だったか。しかし、あの日の私の魂が参加せねばならぬと叫んでいたことも確かで……
「それも考えましたけど……タキオンさんにご迷惑をかける訳にはいきませんし」
「別に彼女だったら喜んで君の観察でもしそうだけど」
「それも困るんですよ! いや、めちゃくちゃ嬉しいというか恐れ多いんですけどね!? ただ、恐れ多すぎて作業できない可能性が濃厚というわけでして……」
しかし、何らかの手段で作業時間を創出しないと納得できるクオリティの作品に仕上げられないのもまた事実。特に最近は楽しみにしているトレーナーさんとの推し活もできていない。創作活動も楽しいには楽しいが、こうも詰め込むとガス欠気味なのも事実だった。
「じゃあさ、ウチに来る?」
「あぁー……アリですねぇ…………って、えぇ!?」
時間差で処理された情報に脳が驚き、思わず愛用の液タブを落としそうになる。
「ほら、俺の家だったら人目を気にせず作業出来るだろうし。明日は休みだしね」
「いやいやいや! あたしは全然いいんですけどぉ……トレーナーさんはいいんですか?」
「構わないよ。君が楽しんでるのが一番だしね」
トレーナーさんはあまりあたしの趣味の世界に詳しい訳ではない。けれど、こんな限界オタクの妄言に付き合ってくれて、理解を示してくれて、あろうことか知ろうとまでしてくれて……やはりこの人は神様かなにかなのだろう。
もうまさに渡りに船。作業時間を確保した上に息抜きに推しトークも可能。(ただし、深夜を除く)こりゃあ乗るっきゃないと思ったのです。
「お、おじゃましまーす……」
「そんな緊張しなくていいよ。まぁ上がって」
トレーナーさん宅に到着した瞬間、あたしの中で乾きかけていた何かが潤うのを感じる……これは長らく忘れていたもの……トレーナーさんとの聖地巡礼や推しトークによって満たされるものが、こう、一気にブワッと来た。
……あれ、というかこれ、実はデジたん、ものすごいことをしてしまったのでは?いや、もちろんトレーナーさんは同志であり相方でありますケド。家に上がり込むというのは、結構、いや、かなり親密な間柄で発生するイベントなワケで、それも異性となるとやっぱりそのぉ……
「いいいいいい、いえいえ! しっかりかっちり、寮のお風呂で体の隅々まで丹念に洗ってたっぷり湯船に浸かって清めてきましたのでご心配なく!」
「? 別にシャワーくらい貸すよ?」
「ふゎ!? あ、変な意味とかないですよ!? いや、万が一、億が一を考えて変な意味でも大丈夫な覚悟はしてますが!」
いや、もう典型的なテンパったキモオタクのそれです。
白状します。ちょっと期待してます。そりゃあ、だって、理解のあるトレーナーさんの家にお泊まりですよ? 普段から鍛えている妄想力だけは自信があるあたしとしては、まぁ落ち着かないわけで。
「それじゃあ、俺はソファーで寝るから、デジタルはベッドを使ってね」
「あ、今夜は寝ないで作業するので大丈夫でっす!トレーナーさんはお先に寝ちゃっててください!」
「本当に大丈夫? あんまり無理はしてほしくないんだけど……」
「止めないでください。これはあたしの戦い。もし負けたら、しばらくは絶不調ですッ!」
ここまでしてくれたトレーナーさんの厚意を無駄にするワケにはいかない。とにかく、描いて、描いて、描きまくる。今のあたしにはそれしか考えられなかった。
「よぉし! アグネスデジタル、いざ行かん!」
「疲れたらちゃんと休むんだよ。それじゃあ、おやすみなさい」
トレーナーさんはあくびをしながら寝室へ消えていった。きっと、一週間の疲れが溜まっていたのだろう。改めて、彼が用意してくれたこの環境に感謝をせねばと思った。
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「かひぃ……ふ、ふぉぉ……お、終わった……」
既に空は明るく、スズメの鳴き声がそこら中に響いていた。パターンに入ったオタクは強い。あと2週間は必要だと思われていた原稿は、誤字脱字チェックを除いてほとんど出来上がっていた。
しかし犠牲は少なくなかった。もはやあたしの低スペ脳ミソは完全にオーバーフロー。眠気と疲れのせいで妄想と現実の区別もつかない状態。ただ、己の欲求の赴くままに動くモンスターだ。
無防備にも、目をこすりながらトレーナーさんが入室してきた。もはや、あたしを縛るタスクも理性もこの徹夜の作業で消えてしまっていた。
トレーナーさんを視界に捉えた瞬間、ゲートが開いたときのように体が飛び出していた。
「ふぉぉ……朝イチのトレ吸いは効きますなぁ〜」
「……デジタル?」
「デジたんのスタンスとしては、ウマ娘ちゃんへのお触りはNG! が、しかし、相方であるトレーナーさんなら問題全くナッシング! というか誘ってるんでしょう!? ウマ娘をホイホイ家に上げて!」
「ちょ、デジタル……離して……」
もう止まりませんよ! こちとらこの1ヶ月レースと原稿に時間を捧げてきて、同志成分が不足してるんですから! こうなりゃ致死量まで摂取してトレーナーさんの腕に抱かれて死ぬ覚悟! あぁ、至福……
「デジタル……おーい、デジタル……? 寝ちゃったか」
随分といい夢を見ていた。トレーナーさんと一緒にイベントをまわる夢。あの人の手にはあたしの新刊があって……
「デジタル、この本、すごくよかったよ! 特に、この表紙のキャラクター。今までよく知らなかったんだけどさ……」
あぁ、こんなに幸せなことなんてあるんだ。同志に新刊を褒められ、更には布教にも成功。それになんだかトレーナーさんに包まれてるような心地もするし……あれ?
「デジタル、かわいいよ……君の作品のウマ娘よりも、ずっと」
「あばばっばばばば!!とととと、トレーナーしゃん!? マズイですって! こんなところで!」
なななな、なんであたし急に抱きつかれてるの!? ちんちくりんで小さいあたしの体は、あの人にすっぽりと覆われてしまって……
「ひょえ〜! ……ゆ、夢オチかぁ……」
目が覚めると、見知らぬ天井。正直言うと、もうちょっと見ていたかったような……
「あ、起きたね。お疲れ様。デジタル」
「あ、トレーナーさん。おはようございます!」
その後、この人を押し倒して……
「すいませんでしたァァァァッッ!!」
「いや、そんなに謝らなくても大丈夫だよ」
思い出したと同時に、目にも止まらぬ速度で土下座の構え。徹夜明けとはいえ、あんな蛮行、許されるわけもない。
「だって、だってあんなことしちゃったんですよ!」
「ちょっと掴みかかっただけじゃないか。気にすることないよ」
「ですがッ! こんな恩を仇で返すようなこと! アグネスデジタル、一生の不覚です!」
「気にし過ぎだよ。本当に大丈夫だから。それに、俺は君のイキイキとした姿を見たいんだから。眠る直前も楽しそうだったし、よかったよ」
この人はそんなことを言ってあたしを甘やかす。デジたん全肯定botなのだ。中毒性のある劇薬なのだ。そういうことされるとオタクは勘違いしちゃうのでやめてほしい。嘘。やめないで。
「そこまで言うなら、まぁ……ですが、このお詫びはいつか必ず!」
多分、そういうつもりは本人にはないんだろうけど。オタクは文脈を無視して都合よく受け取る生き物なので。やっぱり勘違いしてしまう。夢だって見てしまう。
「もうお昼ごはんの時間だし、何か食べに行かない?」
「あのぉ……ご迷惑をかけまくったあとに言うのも気が引けるのですが、リクエストがありまして……」
でも、いいんです。きっとオタクとは……あたしとはそういう生き物だから。一緒に推し活をして、喜びを分かち合って、たまにお互いのことを推してみちゃったりして。そういうので幸せなんです。
「さぁさぁ行きますよトレーナーさん! 寝てしまった分、聖地巡礼で取り戻します!」
寝室から飛び出して、リュックに詰め込んでいた着替えを引っ張り出す。トレーナーさんが気まずそうに目をそらしたのは、ちょっとは意識されてるって期待……いや、妄想しちゃってもいいのかな。
「そんなに慌てなくても大丈夫だから。着替え終わったら呼んでね」
何はともあれ、原稿はほとんど完成し、今日は休日。トレーナーさんとの推し活も無事再開!
……次の新刊も、トレーナーさんの家で書いちゃおうかなぁ、なんて考えながら、あたしは外出の準備をしたのだった。
長くなってしまいました。すまない……
ラノベ一冊分はいけそうなシチュエーション
あ
あ
次もその次もと通う内に…