ウマ娘に求めるものは夢や絆ではなく、相互理解のビジネス関係である。情熱に満ち溢れたトレセン学園の中では異端とも呼べるだろうが、それで結果を出しているのだから誰にも文句は言わせない。
そう、例えそれが俺の担当するウマ娘たちであっても──
ある日、放課後のグラウンドにて。
居残りの追加練習に励むヤエノムテキとサクラチヨノオーを眺めている俺の担当ウマ娘、メジロアルダンに声をかける。
「トレーナーさん……そうですね。瞬く間に、何歩も先へ行くのが彼女達ですから」
柔らかな微笑みと共にこちらに振り向くアルダン。本音を言わせればあの場に混ざりたいのだろうが、彼女の脚のことを思えば無茶は厳禁である。昨日強めの負荷をかけたのもあって今日は休みを命じていた。一時の感情でビジネスを潰されてはたまったものではない。
俺は小さく溜息を吐くと、ジャケットを脱いでアルダンの肩にかけた。日中は暖かくなってきたこの時期だが、夕方を迎えると途端に風が冷たくなるからだ。
「ふふ……ありがとうございます。あなたの温もりを感じます♪」
「……勘違いするなよ。俺と君は──」
「ええ、ビジネスパートナー……ですよね♪」
──当然、このように。アルダンも俺たちの関係を理解している。
ふいに右腕が温もりに包まれ、ほのかに心地よく甘い香りが漂う。どこか揶揄うような声音に首だけで振り向けば、俺を上目遣いに見上げる桃色の瞳と目が合った。
サクラローレル。彼女もまた、俺の担当するウマ娘の一人。距離感が近く、同世代のウマ娘たちの中でどこか蠱惑的な雰囲気を持つ彼女だが──
「ローレルさん」
「ごめんなさい、良い雰囲気だったので混ぜてほしくて♪」
「……そうだけど、そうじゃないな。勘違いするなよ。俺と君達は──」
「ええ、わかってます。ビジネスパートナー、ですもんね♪」
──当然、このように。ローレルもまた、俺たちの関係については理解している。
一瞬の瞬きであっても歴史に名を刻むと誓ったアルダンに、最強のウマ娘を倒した先で世界を制すると豪語したローレル。二人とも才能はある。心意気もある。しかし脚が弱く、体質に恵まれていない。下手に指導すれば結果を残せないどころではなく、一生に響く怪我を負うことになる──それは、ビジネスとして大きな損失だ。
だから俺がスカウトした。他の誰かの手に渡る前に、彼女達を支えて、共に駆け抜けたいと感じた。
「……ヤエノ達は上がるみたいだな。俺たちもそろそろ戻ろ……アルダン?」
「『左側』が少し冷たそうでしたので……ビジネスパートナーとして、トレーナーさんが体調を崩してしまうのは見過ごせませんから。ローレルさんもそう思ってのことですよね?」
「……うん。そうだね」
両サイドから漂う甘い匂いに浮き立ちそうになるが、俺は闇のトレーナー。ビジネスパートナーとして情けないところは見せられない。
口を横一文字に結び、彼女達と足並みを揃えてトレーナー室へと戻った。
彼女達の脚の脆さについては、共に歩んできた年月の中で解消されたと言っていいのかもしれない。しかし、慎重になり過ぎて困るものはない。
彼女達の走りはまだまだ道の途中。俺は、大事な大事な商売道具を自らの手で壊す愚か者ではない。
「ふぅ……」
定時を超えたトレーナー室で一人、今後のプランを練る。
脚のケア・強化、ライバル達の対策、今後のローテーションの修正──それを三人分。連日続けば脳が熱を持つような錯覚を覚えてくる。
俺は私生活もビジネスに費やせる闇のトレーナーであるため、残業も厭わない。しかし弱った姿をチームメイト達に見せてしまうのはビジネスパートナーの立場が揺らいでしまう可能性がある。
「……少し、仮眠を取るか……」
事前に用意していたマットに横になり、スマホのアラームをセットして目を瞑る。仮眠で疲労をリセットし、チームメイトの前では冷酷な闇のトレーナーとして振る舞えるように──
「あ……おはようございます」
「おはよう、ミラクル……なんで?」
「電気が点けっぱなしだったので……もしかして、と思って」
段々眠気が覚めてくると、頭の下に敷かれている柔らかいものがミラクルの膝であることと、額に少しひんやりとした感触──彼女の手のひらが乗せられていることに気が付いた。
「……これは……」
「おれ、よく体温が低いって言われてて……トレーナーさん、気持ち良いですか?」
「……むぅ……」
確かにミラクルの体温は心地良い。過労で熱感を訴えていた頭が程良く冷めているのがわかる。
ケイエスミラクルは俺のチームの最後の一人。
彼女もまた高い素質を持つウマ娘であり、必ず奇跡を起こす──いや、起こさねばならないというある種の強迫観念染みた想いを抱いていた。
それは彼女の鋭い走りを支えていたが、空気でパンパンに張り詰めたタイヤのようにも思えて、放っておくことができなかった。ビジネスチャンスの損失に繋がるからだ。
「……でも、勘違いするなよ。ミラクル」
「はい、わかってます。おれたちはビジネスパートナー……ですから♪」
──当然、このように。ミラクルもまた、俺たちの関係について理解している。
例えばアルダンからは今後のために社交界でも通じる立ち振る舞いを学んだ。
「さぁ、もっと密着してください♪ 恥ずかしがらず、胸を張って。貴方は素敵なお方ですから」
「う、うん……なぁアルダン、テーブルマナーとかダンスって本当に必要?」
「ええ。今後のビジネスのために活かせるかと♪」
「成る程……成る程……?」
疑問を感じながらも文字通り手取り足取りの鍛錬に、しゃんと背筋が伸びるのを実感した。
しかし恐らくメジロ家に顔を覚えられたことはプラスに働くのだろう。
「あ、ローレルお姉ちゃんとトレーナーさん! こんにちはー!」
「二人はお付き合いしてるのー?」「いつケッコンするのー?」
「ふふ……ですって? どうしましょうか?」
「……あんまり、勘違いさせるんじゃない」
「ええ。パートナー、ですから♪」
「……ビジネスの、な」
一緒にいて釘を刺さないと、ローレルの他人を勘違いさせるような言動は収まることはないだろう。
からかい上手な彼女だが、誤解を招くのはいただけない。彼女の人格は好ましいが、ビジネスの場においては見過ごしてはならない。
ヴィクトリー倶楽部との繋がりも大事にしなければ。
「……ごめんなさい、トレーナーさん。おぶって貰っちゃって……」
「気にしないで。これも、俺の役目だから」
「……ふふ。そうですね」
「……商売道具、商売道具だから!」
「はい、わかってます♪」
ちなみにこの日はミラクルの履いていた靴のヒールが折れてしまったため、俺が彼女をおぶさって帰った。リフレッシュのための休日で脚を痛めては元も子もない。
しかしミラクルをおんぶして、近道の為に普段とは違う道を通った結果として、いくつかの良さげなレース用品の店や食事処を見つけることができたのだから、やはり俺の選択に狂いはなかった。
「──温泉旅行?」
「はい。一等地の旅行券が当たりまして」
「トレーナーさんも羽を休める機会が必要だと思うんです」
「おれたち、トレーナーさんに恩返しがしたくて……それに、あの温泉は有名ですから。知っておくことはビジネスにも活かせると思うんです」
「……むぅ……」
──彼女達がURAの短距離・中距離・長距離部門をそれぞれ制覇して、数週間が経った頃。
正直忙しいので首を縦に振りにくいのだが、3人に囲まれて懇願されては断りようがない。それにミラクルの言うことも最もだ。
まぁ、たまにはこんな役得があってもいいだろう──俺は、彼女達の言葉に甘えることにした。
「ええ、ではこちらに。私たちの方で調整しておきましたので」
「え?」
「ぜーんぶ、私たちに任せてください」
「え?」
「いっぱい恩返し、させてくださいね」
「え?」
アルダン、ローレル、ミラクルの3人に囲まれ、有無を言わさず、恐らくはメジロ家が手配したであろうリムジンに連れ込まれる。
(……まぁ、たまには彼女達に主導権を預けてもいいか……)
少し面食らったが俺は常に冷静な闇のトレーナー。身体を休めつつ、次のビジネスチャンスを脳裏に巡らせながら、リムジンの上等な椅子に背中を預けるのだった。
ウマ娘のことはビジネスパートナーとしてしか認識していない冷酷な男……
は?ビジネスなんだが?
アルダンと手を繋いだりローレルと食事に行ったりミラクルに膝枕されたりしてるがビジネスなんだが?
気をつけなアカン
担当のお家にもご挨拶しないとね
ローレルと親しくするのもヴィクトリー倶楽部とのコネ作りだから
ミラクルと親しくするのは……ビジネスでの手札作りの一環だから
勘違いするなよ
ビジネスだよ全部ビジネス
ビジネスだからな
ケイエスミラクルはまだわからないけど
ビジネスって言ったじゃないか!
ビジネスだから自分の身体も報酬次第で使う…
もちろん家事も育児も分担する
片付けが進むトレーナー室で、俺は一人残って溜息を吐いた。彼女達とはビジネス上の付き合いでしかないが、なんだかんだ長年共に連れ添ってきたのだ。寂しくないと言えば嘘になる。
「……いや。俺が、情に絆されているのか……」
こんな寂寥感に囚われている時点で俺はビジネスマン失格である。俺は冷酷な闇のトレーナーだが、彼女達に多少なりとも影響を受けているのは否定できない。少々肩入れし過ぎたかもしれない。あと少しでも一緒にいる機関が伸びれば、俺は完全に彼女達にビジネスマンとしての心を崩されてしまうかもしれない。
「……まあ。それもここまで、だが」
彼女達が卒業すれば今度こそビジネス上の付き合いのみとなる。俺は彼女達との生活で学んだノウハウを次の教え子達に活かすとしよう。
「ああ、アルダン──と、みんなもいるのか」
噂をすれば影とでも言うのか。ほんの少しばかり物思いに耽っていると、チームの子達が入室してきた。
共に駆け抜けてきた彼女たち。目尻の奥がほんの少しだけツンとするのは春の花粉の影響に違いない。
「今まで、ありがとうございました」
「……いや、こちらこそ。君達との日々は……っ、本当に、良い、ビジネスだったよ」
花粉症で滲む視界をハンカチで拭いつつ、彼女達と向き合う。この社交辞令の挨拶も、あと数日で交わすことは無くなるだろう──
「いいえ。これからの、ビジネスの話をしにきました」
──え?
「実は、かの国からメジロと繋がりを持ちたいとの連絡があり、その橋渡し役として私が選ばれました」
「おお、それはおめでと──!」
「はい♪ そして、是非その隣に──貴方こそ、相応しいと」
「──ぉ?」
これが想定している報酬です、と。アルダンが電卓アプリに数字を表示させた金額に、目が丸くなった。
「お、おお……? でも、アルダンとバッティング……」
「──そこについては、既に話が済んでいます。貴方ならば二つの立場であっても十全にこなせるでしょう」
アルダンとローレルが向けてくる上目遣いに、気が付けば数歩後退りしていた。
まずい、このままでは何かがまずい気がすると。
そして思い出す。そうだ、ミラクルはこういった手札を持っていない筈だ──と。
「……だ、だよな?」
「はい。でも──おれ、自信ならあります」
「へ?」
ミラクルが、一歩踏み出す。
「だって、トレーナーさん──満足、できるんですか? おれたちと一緒に走ってきて、他の子で」
「……っ!」
「……ぐぅうぅうう……!!」
痛いところを突かれた。
確かに、生粋のビジネスマンである俺ですら、彼女達との日々は輝いていると感じられた。いいのか、あの日々に脳を焼かれて、今更他の子で満足できるのか、と。どこで覚えたのか、冷酷なビジネスマンである俺の心を的確に揺さぶってくる。
──いや、いや! だから、こそ。俺は、だからこそ、彼女達と離れなければ、ダメになってしまう。
「ふ、ふふ。甘く見るなよ、君達。俺は」
「私たちは」
「トレーナーさんと」
「ずっと、一緒にいたいんです」
「ぐうぅぅぅ……!」
アルダンと、ローレルと、ミラクルが迫って来る。
後退りを続けて背後は壁。前も壁。この状況を打破するただ一言が、出て来ない──
「あなた。あの子の教え子がまた大成したようです」
「そうか。今日は祝杯だな」
アルダンと共に指導した教え子──の、さらにその教え子が重賞を制覇したとの知らせを受ける。
顔を綻ばせながら、秘蔵のにんじんジュースでの乾杯を脳裏に浮かべる。
「ふふ、またあなたの教えを受けたいって連絡があったよ」
「ああ、わかった。スケジュールを調整しよう」
ローレルの後輩たち、ヴィクトリア倶楽部のメンバーから脚のケアについて教わりたいとの連絡。将来の原石達だ。磨き上げるのは他のトレーナーの役目だが、その手助けくらいはしてもいいだろう。
そして──
「おかえり、ミラクル。お疲れさま」
汗びっしょりで帰宅してきたミラクルを迎える。そして、彼女の横をすり抜けて──
「ぱぱー!」「ただいまー!」「おなかすいたー!」
「うん、みんなもおかえり!」
ミラクルと外で遊んできた我が子達が、元気いっぱいに飛び付いてくる。
彼女達もまた、未来の可能性に満ち溢れた原石たち。決して無駄にはしまい。
今のビジネスパートナーたちと将来のビジネスパートナー達に囲まれながら、俺は溢れる笑みを抑えきれないのだった──
例えどのような相手であってもビジネスパートナーとして利用する冷酷な男……
ビジネスってなんだ