シチーがトレーナーの匂い気にしてたのはそんなウワサが飛び交い初めてからすぐだった。パーマーもジメっとした“ふーいんき"を臭わせはじめたのがその頃で、ヘリオスはまぁワリといつも通り。
遺伝子がどうの細胞がどうの……小難しいことはわかんねーけど、トレーナーとの相性が良いか悪いかってことでしょ。
それで言うなら、あたしも気にならないワケじゃない。相性っていうか、あたしはこんなにバカでダメなのに、トレーナーは正反対のユーシューで立派な大人。釣り合わないし、何でこの人あたしのトレーナーやってくれてんだろって思う。
これでトレーナーの匂いが好きじゃなかったら「まぁだよね」ってなるけど、仮に好きな匂いだったら……あたしはどうすれば良いんだろう。
「ここ最近はその話題で持ちきりみたいじゃないか」
「──あれ、あたし独り言出てた?」
宿題をながめてる間にそんな独り言がもれてたみたい。
いつものトレーナー室のソファで向かい合ったトレーナーは教科書を見るために前のめりになってた体を起こして、ちょい古いソファのギシギシ音を立てながら背もたれに背中をつける。
「ふーん……で、アンタはどうなん?」
「俺かい? 俺も当然匂いには気を遣ってるよ。これもトレーナーの務めさ。無臭……とまではいかないけどかなり匂いは弱い筈だ。相手に匂いを指摘するのは親しい仲とは言え、言いにくい事もあるからね。ジョーダンにはそんな事に気を遣わせたくない」
「……ふーん……」
なんかムショーにイラついた気がする。だってこっちはウマ娘だからとかじゃなくて、こんなあたしとアンタだから気になってんのに、そっちはこっちの気も知らないで勝手に「気をつかわないで良いよ」「トレーナーのつとめ」とか。
「……じゃああたしが匂いチェックしてやんよ〜。トレーナー自分の匂いとか分からんでしょ? あたしが今からチェックしてやっから」
「えー……」
「いや、それじゃあ本末転倒じゃないか。俺は君にそう言った気を遣わせたくないから──」
「ほんまつ……? とりまアンタが臭かったらあたしだってメーワクだって言ってんのっ。ほれ、動くなって!」
「あぁ、ちょっと!」
トレーナーを捕まえて──急に恥ずくなったけど勢いで──うなじの辺りの匂いをかぐ。
……確かに、これだけ近いのに匂いは気にならない。体臭ってよりは服の良い匂いはするけど。予想してた汗臭さっていうか男の匂いって感じは全然ない。好きな匂い〜みたいのは感じられない。
ま、そりゃそうか。そうだよね……。
「……臭くないよね?」
「うーん、まぁそう。くさくねーし、ちゃんとせんたく物の良い匂いすっから」
「良かった……香り弱めの洗濯ビーズ使ったけど、くどくないようで安心したよ」
「女子じゃん」
「っ! へ、へぇ〜……そうなんだ」
「ああ。もしよければどんなシャンプーか教えてくれないか? ホントに好きな匂いだから使いたくなってみた」
「や……これは、なんてゆーか……女子のヒミツ的な……? だ、ダメっ! 教えてやんねーから!」
「えー、残念……」
マジでザンネンがるトレーナー。そんなに好きな匂いなら教えてあげたかったけど……それはムリだった。だって、あたしはそんなシャンプーなんて使ってないから。
あんま甘い匂いのやつ使ってると、くどくなるし、かみ質的にも匂いまではカバー出来るのがなかったから“かんきつ系"の軽いやつにしてたし。
じゃあその甘い匂いってなんなのかって。シチーの話だとウマ娘のフェロモンみたいなもので、それこそ相性がいい男の人はそれをスゴく気に入る匂い……らしい。
シチーが言うには、ある女優のウマ娘はそれで結婚相手決めてチョー夫婦円満だとか。となるとトレーナーはあたしと──
「ぇ、あ、うん。そうだったわ。おなしゃ〜す」
「はいはい。じゃあこの公式だけど──」
ドキドキとあたしの心臓がはねる。自分の匂いが気になる。少しでも、トレーナーに向かってその匂いを風に乗せたくなるような気になる。
気を張らないとトレーナーとあたしの結婚式とかシチーの話から連想して、止まらなくなっていく。止めようと意識すればするほどに。
「……ジョーダン? 少し上の空だけど、集中しようか」
「う……ん。大丈夫。気にしなくていいから」
大丈夫であるハズがなかったけど、下手に会話してると、いつさっきの独り言みたいに口から変なこと出ないか心配で、あたしは宿題が終わって落ち着くまで生返事で何とか乗り切るので精一杯だった。
なくていいんだよ……!
シンプルにひどすぎてダメだった