今や、ウチの家電が勝手に動くことはなく、デバイスが自由に喋ることもない。
つまり、普通の一人暮らしに戻ったということだ。
また、それだけでなく……メガドリームサポーターでも、彼女の姿を見なくなった。
樫本トレーナーによると、リトルココンの練習にはたびたび現れるらしいので、いなくなったわけではないようだ。
つまり、単純に避けられている。
最初の頃は、VRの世界をあてもなく探し回っていた。
だが、いくら探したところで、彼女を見つけることなど出来なかった。
当然だ、向こうが全力で隠れているのだから。
もうすぐ3月が終わる。
そして『その日』が来る。
グランドマスターズ。
デビューから約3年間、トゥインクルシリーズで実力を示したウマ娘だけが出場できるレース。
『三女神』からの挑戦状。
ウチの担当は、昨年までクラシック級だった。
そのため、今回のグランドマスターズには参加しない。
しかし……『彼女』は、そうはいかない。
なぜならグランドマスターズは、あの『三女神』を超えるためのレースなのだから。
彼女が出場しなければ、その意味をなさない。
そう、その日だけは……彼女は、そこに現れなければならない。
彼女のことを考えるあまり、担当ウマ娘を蔑ろにしたとあっては、トレーナー失格だ。
それこそ、二度と彼女に顔向けできない。
一日が、一週間が、一ヶ月が……とても長く感じられた。
それでも、ついにその日は訪れた。
学園全体が賑わう中、担当とともにVR世界へと突入する。
レース場は大盛況だった。
事前に予約しておかなければ、入ることも叶わなかっただろう。
パドックに、華やかな勝負服のウマ娘が登場した。
1枠、1番、1番人気。
昨年のG1年間最多勝利記録を持つ、超有名ウマ娘だ。
『三女神』を超えられる者がいるとすれば、彼女の他にはいないだろう。
もちろん、あの『三女神』のふたり……ゴドルフィンバルブとバイアリータークもいた。
出走表によれば、彼女の登場はまもなく。
『最後は大外8枠18番、ダーレーアラビアン。4番人気です』
アナウンスと共に、ついに彼女が姿を現した。
パドックの上でクルリと回り、ポーズを決める。
場内から歓声が上がった。
観客に向けて、笑顔で手を振るダーレーアラビアン。
会場全体を見渡しているようにも見えるが、しかし……不自然にも、こちらにだけは目を向けない。
知っているのだ、『ここ』にいると。
その背を見届けたあと、担当を連れて指定席へと移動する。
席につく頃には、既に出走者全員がターフにそろい、返しウマを始めていた。
やがて、いよいよ発走時刻を迎える。
ターフビジョンには、壮大な音楽と共に『GRAND MASTERS CLASSIC』のタイトルが踊った。
大歓声が湧き起こる中、ウマ娘たちがゲートに入っていく。
最後に大外枠のダーレーアラビアンが入り、ゲートインが完了した。
スタートの瞬間を見逃すまいと、自ずと場内が静寂に包まれる。
そうして、その一瞬だけ訪れた静けさを……開門の音が引き裂いた。
『スタートです!各ウマ娘、そろって綺麗なスタートを切りました!』
スピーカーから放たれた実況の声は、再び湧き起こった大歓声の中に沈んでいった。
1番人気のウマ娘が、早くも先頭に躍り出る。
芝2000m・右回り・晴れ・良バ場。
クセもなく、彼女の得意とする条件。
さらに逃げを打つことで、序盤からレースの主導権を握っていく。
2番手にはゴドルフィンバルブ。
好位につき、冷静に勝負を運んでいる。
ダーレーアラビアンは、中団の少し後方に位置取った。
バ郡に飲まれないよう注意しながら、脚を溜めている様子だ。
そして最後方に構えたのは、バイアリーターク。
先頭からシンガリまで、およそ13バ身といったところか。
バイアリータークが、ジワジワと位置を上げている。
そろそろダーレーアラビアンの前に出そうだ。
『集団がひとつにまとまって、混戦状態です!順位を振り返っていきましょう!』
先頭は依然として、あのウマ娘。
レース全体のペースを握り、優位に立っている。
その背後では、ゴドルフィンバルブが虎視眈々と仕掛けどころを狙っている。
そして、レースは第四コーナーへと差し掛かった。
ここからが本当の勝負。
先頭を目掛けて、後続が一斉に襲いかかる。
だが、1番のウマ娘も譲らない。
粘り強く首位をキープする。
追い込みをかけたバイアリータークは、既にゴドルフィンバルブのすぐ後ろに迫っていた。
競り合うふたりの女神。
そこへ、もうひとつの影が飛び込んでくる。
『勝負は最後の直線に持ちこされた!』
ホームストレッチに入った直後、ダーレーアラビアンが強く踏み込んだ。
赤い光がバ郡を貫き、一気に先頭へと駆けていく。
他の女神さえも抜き去って。
『400を通過!』
しかし……そのウマ娘も、まだ脚を残していた。
あと一歩。
その一歩を、絶対に譲らない。
『残り200!!』
場内のボルテージが、最高潮に達する。
勝てる、あのウマ娘なら。
『三女神』を、超えられる。
偉業を成し遂げんとする彼女へと、 観客の声援が集まっていく。
その中で、ただひとり。
それを、心から望めない者がいた。
……ここに、いた。
誰に向けたかもわからない言葉で。
かき消されるほど小さな声で。
届くはずもない距離で。
……それでも、確かに口にした。
ダーレーアラビアンの目が、大きく開かれる。
普段は見せることのない本気の形相で、叫ぶ。
ターフを抉り、前へと跳ねる。
真っ赤に燃える陽が、ついに先頭のウマ娘と並んだ。
ゴールは目の前。
ふたつの個性が、ふたりの武器が、激しくぶつかり合う。
そして……
場内の歓声が、どよめきへと一変する。
はたして、どちらが勝ったのか。
『大激戦のゴール前!これはすごいことになりました!』
三女神を超えたか。
三女神が意地を見せたか。
『これは写真判定となります!結果が出るまで、そのままお待ちください』
ざわめく観客も、先ほどまで走っていたウマ娘たちも……
この場にいる全員の目が、ターフビジョンから離れない。
そして、それは『彼女』も同じだった。
今なら、彼女は逃げられない。
担当に一言断り、客席から走り出す。
人混みをかき分け、下へ下へと降りていく。
彼女に会ったら、何を話そうか。
何を伝えようか。
そんなことは、もうずっと前から決めてあった。
目指すはターフ。
その上で、スクリーンを見守る彼女。
燃えるような赤い髪と、エメラルドの瞳を持つ、褐色のウマ娘。
ダーレーアラビアン。
続きは明々後日くらいまでには書きたい
三女神の名を冠するAIだからあれくらいで良いんじゃないかな
なんとかハッピーになってくれ…