がっくりと、その場に膝から崩れ落ちる
正直、セイちゃん泣きそうです。ていうかもう涙出てきちゃってます
あんまりにもあんまりなその結果に、久々に一発で心が折られた感じ。周りに人が居なくてよかった。これは、正直辛いです
「せっかくかかったと思った、のに………」
春の陽気で暖かくなってきた、けどまだ肌寒い港の堤防で私はただただ黄昏ていた
右手に持った釣り竿の先には、何もついていない。いや、正確にはもうついていない
ついさっきまで、そこには希望が付いていた。買ったばかりのルアーと言う名の希望が。それが、今はもうない
どんな魚が釣れるかな。この子での最初の一匹はどんな子になるだろうか
そう思って、本日の第一投と意気込んでベストコンディションの海にルアーを投げ込んだ瞬間………それは起きた
涙がつーっと頬を伝う。ああ、本当に誰もいない日でよかった。我慢できなかったです、はい
いきなりガツンときた衝撃、その大物の気配に『来た!!』と合わせた瞬間……バチンッ!という、背筋が冷え込む衝撃が走って
あとには何も残らなかった。ただ、ルアーを失った釣り糸が風に揺れるだけ
そのショックと絶望感に、セイちゃん今打ちひしがれちゃってます
「ルアー……高かったのに………」
学生のお小遣いに、ルアーロストはかなり痛い。それも買ったばかりのものとなればなおさら
あまりの衝撃に頭が真っ白になって、しばらくその場を動くことができなかった。あはははは
「ぐぐぅ〜。お〜の〜れ〜」
あの後、ひとしきりシクシク泣いた後に湧き上がってきたのは………闘志だった
久々のルアーフィッシングでこの始末。このままでは絶対に帰れない
新たに仕掛けを作りなおしながら決意を強く固める。絶対に釣り上げてみせる、と。セイちゃん久々の本気バトルモードです。持てるすべてを駆使して、全力で挑みます。むんむん
そのためにも、切られた糸を………と、そこで
「………にしても、これ」
ショックリーダー……要するに釣り糸なんだけど、その先端を見てふと思い至ったこと
岩場なんかで擦れたりするのを想定してそういうのに強い糸を使ってるんだけど、それが……綺麗に切られてる。それはもう、スパッと綺麗に
この切り口、何処か覚えがある。まるで刃物で切断されたような切り口
まさか。そう思って荷物を漁る。こういう時のために、一応持ってきてたはずだけど………
取り出したのはワイヤーリーダーという道具。ルアーや針につなぐ、細く強い釣り用のワイヤー
魚の中には、特に歯が鋭く危険なものが多数いる。そういう魚を狙う時に使う道具なのだけど………
「あのあたり方は、タチウオじゃなかった。上の方だしヒラメでもない。だとしたら………」
そう考えれば、確かにあった心当たり
実際に釣ったことも何度かある。もしそうならさっきの当たり方も納得できるし、間違いなくこれが必要になるはずだ
ワイヤーリーダーをしっかり装備して、新しいルアーを取り付ける。さっきと同じカラーリングの、あまり深く沈みこなまないタイプのもの
表層から狙って、それでだめなら少し沈めていく。それでだめなら……作戦を変える。今日ばっかりは、諦めるということはしない。徹底的に戦ってみせる
何度か引っ張って強度を確認し、戦闘準備完了。これでいつでも戦える
もし想像通りの相手なら、群れで回遊してる可能性もある。だとすればチャンスはまだまだあるはずだ
せいやっと、まずはさっきと同じあたりに投げてみる
あまり沈ませずに表層を少し早めに巻いていく。活性が高ければこれで喰らいついてくる可能性も十分にある。さっきのような衝撃に備えつつ、慎重に、かつ誘いを入れて
「……少し時期が早いと思ったけど」
釣りというのは行き当たりばったりばかりではなにも釣れない。その時期に何が釣れるのか、今どこで何が揚がっているのか、それらの情報をもとに自分の釣りを組み立てていくもの
だけど、そのデータが全て正確なわけでもない。その時々で、まさかと思うような時季外れの魚が釣れることだって決して珍しくない
今狙っている魚も、正直もう少しあとになると思ってたけど……当てが外れた。よくも、悪くも
もしも釣り上げることができれば大戦果だ。是非とも、慎重に狙っていきたい
表層近くはあちこち探ったものの、反応は無い。逃げたか、それとも
これで反応が無ければ、ルアーのカラーリングを変えよう。そう決めて今度は少しルアーを沈めて泳がせてくる
竿を時折操作しながらルアーを動かして、逃げ惑う小魚の動きを演出。基本だけど、これが難しい
そして、時々動きを止める。そうして喰らいついてくる間を作ってあげれば………
「………ッ!!」
ゴツッと、横合いから殴りつけるような感覚
まだだ。まだ、しっかり咥えてない。ここで急な反応をすれば確実にすっぽ抜ける
巻くのは止めず、より弱ったように動きを小さくして。そのまま巻いてくると………
「ッ、きたぁ!!!」
今度はワイヤー、そう簡単には切られない。このまま真っ向勝負で、足元まで寄せてみせる
「こ、のぉ!!う、わわ!!!結構大きい!?」
この強い横走り、想定していたよりも大きいかもしれない
竿やリールは大丈夫。もともと大物が来ても対応できるようにしてきた。ワイヤーを使っているから切られる心配もない、はず
だったらあとは、不意の暴れで針を外されないようにするだけだ。しっかり体力を奪いながらじっくり持ってくればいい
「あわわわわ!!ま、まだ走る!?」
ここで少し不安になってきた。糸に傷とか無かっただろうか。結び目甘くなかっただろうか。もしここでラインブレイクなんてしたら、それこそもう立ち直れない
精神を集中させて竿先とリールを操り、格闘し続けてしばし
ようやく姿が見え始めてきたその魚体に、先ほど抱いていた推理が確かなものであったと確信する
間違いない、あの魚は―――
「た、タモ、タモ!!」
横に置いてあったタモ網を手に持って足元まで何とか寄せてきたその魚に狙いを定める
これは、勝った。ただ不意に暴れられて針が外れる危険もあるし、変な所から糸が切られたら目も当てられない。確実に、絶対に逃がさないという決意でタモを水中に入れる
入った!!と、思わずぱっと笑顔を浮かべて……そこでふと、見えたものがあった
「………あれ?」
いやまさか、確かにあり得ない事じゃないかもしれないけど。でもそんな偶然が………
「………うぇええええええええええええええ!!?」
気の抜けるような声が、港に響いた
「………まさか、ねぇ」
寮に帰ってきて、いつものように使用許可をもらった調理室で、遠い目で呟く
どうも、お風呂上がりのホカホカセイちゃんです。ニンジンジュース飲みながら失礼します
あれから少し粘ったものの、結局今日はあの一匹で終了して帰ってきて。釣り具を片付けながら、そのまさかの偶然に驚きが尾を引いていた
とまぁ。まずはやるべきことをやってしまおう。ぱかっとクーラーボックスを開けて、中を見る。そこには今日の好敵手の姿が
「んー、いいサワラ。この時期にしては結構脂も乗ってそうかな?」
そこそこ食卓に上る事も多い魚だけど、切り身で買ったことはあるけど丸ごと買ったことは無い、見たことは無い、と言う人も多いかも
柔かく上品な身で非常に美味しい魚で、食材としても釣りものとしても人気が高い子
関東と関西で違いがあるけど、大きさによって呼び方が変わる出世魚のひとつ。今回は61cm、関東基準だと立派にサワラと呼んでいいだろう
この時期は深場にいることが多くて陸っぱりから釣れることは珍しいんだけど……変わり者がいたのか、それとも偶然小さい群れが掠って行ったのか
「じゃ、まずは下処理からいきますか」
愛用のお魚アップリケのついたエプロンを装着して準備完了。セイちゃん、がんばりまーす
釣ったその場で締めて血抜きしたサワラを、まずウロコを丁寧にとっていく
サワラはとても身が柔らかい。ちょっと力を入れ過ぎるとすぐに身崩れしてしまうので、優しくそーっと。ウロコを取る時も、優しく撫でるようにして
そしたらお腹を裂いて、内臓を取り出していく。その後お腹の中をしっかり洗って血合いを落として、と
で、頭を落としていくんだけど……思わずその顔をじっと見つめてしまう
そこにはまるでノコギリか、はたまた小さいナイフの集まりのような鋭い刃。いや、歯があった
これが今回セイちゃんがシクシクと涙を流すことになった原因。サワラの歯は非常に鋭利で、釣り上げた後も気を付けないとずばーっと切られて大怪我しかねない程なんです。もちろん、調理中にも要注意
もしも釣り上げたら生きてる時に口元に手を持っていくのは止めましょう。すっごく痛いですからねほんとに
その後に起きた出来事を含めて若干複雑な気持ちになりながらも、歯に手が当たらないようにタオルで抑えて頭を落とす。頭は中骨と一緒に、明日アラ汁にでもしましょうか
「ここからが難しいんだよねぇ」
丁寧に、丁寧に。力を入れるんじゃなくて、包丁の切れ味に任せるような感じで。こういう時に活きてくるので、包丁の切れ味はちゃんと手入れして保っておきましょう
上手く三枚におろせたら、腹骨を取り除いて。半分に切って、頭の方の血合い骨を取り除く
両面これが終わったら下処理は完了。そしたら本番です
「まずはお刺身だねー」
お刺身、とはいうけど今回はちょっと違ったレシピで
まず皮は引かないでそのまま残しておく。塩を全体に薄く振り掛けてしばし冷蔵庫で
こうすることで余計な水分と臭みが抜けるので、その間に洗いものとかやっちゃいましょう。セイちゃんは賢いので
そしたら、半分に切った半身をまず使っていく。綺麗に洗ってから余計な水分を綺麗にふき取って、と
大きめのバットに氷を敷いて、そこにもう一つバットを乗せて冷やしたら魚の身を切れ目を入れた皮を上にして置いて
「ふぁいやー♪」
これで皮目の上から炙っていく。火を通し過ぎてただの焼き魚にならないように注意して。氷が敷いてあるのは余計な熱が身に行かないようにするためなので
程よく皮に焼き目が付いたらすぐに冷蔵庫にイン。できるだけ一気に冷ましちゃいましょう
「さて、残りの身だけど………」
言いながらこねこね、こねこねと。お味噌を練る
途中で買って来た西京みそ。これにみりん、料理酒、砂糖と少量の醤油を入れてこねこね、こねこね
これを塗りたくって漬け込んだ身を焼くのが西京焼きなんだけど……残念ながら漬けこまないといけないので今日は食べられません。なので、明日用に仕込みだけ
「じゃ、次の一品」
今度も皮目から焼いていって、柔らかい身が崩れないようにそーっとひっくり返して………よし成功!
また少し焼いたら、さっきの合わせ調味料を入れて。フライパンをゆすって全体にかかるようにしながら、水分を飛ばしていく
ある程度照りが付いたら、お皿に盛ってはい完成!
「いやー。本当はアラ汁も用意したかったんだけどねー」
ぽんぽんとご飯を盛りながら呟く。時間がないので、それは明日の西京焼きと同じ時にしましょう
さあ、ご飯と一緒にテーブルに並べて。食堂からお味噌汁一杯もらってきて
今日の食卓の完成です
ご飯
サワラの照り焼き
サワラの炙り刺し身
わかめと卵のお味噌汁
「それじゃあ………」
両手を合わせて、目を瞑り。今日の死闘を思い起こして、感謝の意をもって
「いただきます」
生姜醤油にちょんとつけて、ぱくりと食べれば………新鮮なうちに血抜きもしてキンキンに冷やしておいたおかげで、臭みも無くほんのり甘い上品な旨味。ほんのり青魚特有の香り
この季節にしては本当に脂がのってる。これは、大当たりを引いたかも
皮を残したのはこの炙りにするため。魚は皮と身の間に旨味のある脂があるので、そこを残して炙ると香ばしく風味豊かに仕上がるのです
これでご飯を一緒に食べれば………はふぅ。セイちゃん、たまりません
「んー、美味しい。次は、と」
続いて照り焼きへ
柔らかい身に箸を入れてご飯の上にワンバウンド。照り焼きのタレをご飯に染みこませてから、ぱくり
うん、大正解。甘辛いタレが柔らかく上品な身によく絡んで、舌の上でしっとりと解ける
もう一切れご飯にバウンドさせて、今度は一緒にぱくり。んー、たまらない。きめ細やかなサワラの身が甘辛いタレと一緒にご飯と絡んで、口の中でふわり
あの凶暴さからは想像もできない様な上品な風味と食感に大満足です
途中でお味噌汁も。わかめと卵って意外と合うんだよねー、なんて満足して。ほっくほくの卵がまた美味しいんです
ワサビ醤油だとまたさっぱりとして別の味わい。個人的にはこっちの方が好きかも
そしたら、ワサビ醤油に漬けたお刺身をご飯に並べて……即席のお刺身丼です
これをちょっとお行儀悪く掻き込んで……ああ、もうたまらない
「いやー、美味しかったぁ………」
残った照り焼きもパクパクと食べちゃって、最後にお味噌汁で締め
なんか、凄く贅沢な定食になっちゃった気分。今日の死闘の甲斐もあった……と、思って
横に置いておいたカバンに視線を移して、ちょっと複雑そうな顔に
「……まさか、こんなことがあるとはねぇ」
使い込んで傷だらけのルアーケース。いつも釣り場に持って歩いているそれを、その場でパカッと開ける
その中に入っていたのは、いつものルアーたちと………今日の騒ぎの発端となったそのルアー
新品ながら腹のあたりに歯で付けられた傷が残っているものの、それなりに綺麗な状態でまだまだ使っていける程度
そう。サワラに初手で奪われたはずのそのルアーは、セイちゃんの手元に戻ってきていた
「ひとまず、おかえり?かな」
実は、今回釣り上げたサワラ……それこそが、最初に私のルアーを奪って行ったサワラ、その張本人だった
釣り上げてタモ網に入れたところで見えたのは、サワラの口に針がかりした二つのルアーの姿だった。最初に奪われたルアーと、今回釣り上げる際に使ったルアー。その二つ
なんと、糸を切られた後もルアーは魚の口に残っていて。それを釣り上げたことによって、奇跡的にロストしたルアーを回収できた……という珍事が、今日のオチだった
そんな事が起きる確率だとか、いろいろ考えることはあったけど。それでも、手元に戻ってきてくれたのならそれでいいかと。にっこり笑ってルアーケースを閉じる
今回のような珍事すらも乗り越えたのなら、これからもっとたくさんの魚を共に釣っていけるはず
頭の中では早くも、新しい相棒とともに出かける次の釣行に思いをはせていた
「さて、それじゃあ………」
まあ、何はともあれ
まずは、今を締めくくらないといけない。ルアーケースをカバンに戻して、テーブルに向き直る
とんだ大騒ぎな一日になってしまったけど、結果良ければすべてよし。満足満足、ということで終わりにするとしよう
だから、強敵との出会い、そして命に感謝と敬意をもって
両手を合わせて、目を瞑り。その言葉を
また次の釣りも、楽しく美味しい一日になりますように
次なくしたら本当に泣く
ジギングで120mくらい沈めて着底直後の一シャクり目でカツッって独特の感覚するの
よくねえよジグかえせオラァ!!!!
ダイソールアーをちょい改造するのが本当に気楽でいい
1個1000円のルアーでも無くなった時には心が痛いんだ
1個3000円のが無くなった時は10分くらい不貞寝した
翌週リベンジしに行ったら同じ魚を釣るのに成功したことあったな
痛いよ痛かった
食べると舌の上で脂の甘みが広がるのに後味が全くしつこくなくていくらでも食える
それが寒鰆