この言葉を掛けられたのはバレンタインの日の夕暮れ時、トレーナー室であたしの作ったケーキをトレーナーさんと二人で分け合って食べていた際の事だった。
「ヒョ!?モガッ!!むぐぐ……!」
「……大丈夫かい?」
ショックでケーキが人体の入ってはいけない脇道へと逸れていき、むせる。
胸を叩いて悶絶するあたしを尻目にトレーナーさんは申し訳なさそうな苦笑を浮かべながらも、こちらの様子が落ち着き始めたのを見計らって、さらに言葉を続けようとする。
スタン状態のあたしに追い打ちをかけるとは…き、鬼畜…
「デジタルも薄々分かっていたんじゃないかな?チームメンバーだった子はもう全員、他のチームへと移ってもらった。」
「僕のチームに今も残っている教え子はもう君だけなんだ、デジタル。」
…知っていた。かつてG1ウマ娘を複数抱えた名伯楽として名を馳せたトレーナーさんが、早急にチームメンバーの整理を進めている理由。
トレーナーさんが近々退職を考えているであろう事はトレセンでも半ば周知の事実となっていた。
しかし…話すの『今』ですか!?
『今』じゃないといけませんか!?
ウマ娘ちゃん愛を持つ"同志"としての絆を確認していた所ですよね!?今まさに!
やや冷めた紅茶を飲み干して、ようやく状態異常を解消したあたしは言葉を返す。
「ト、トレーナーさん!!常々割とマイペースな方だと思っていましたが今その話をする空気でしたか!?」
「いや…ごめんね?僕もなかなか言い出しにくくてね…期限も迫っているし、そろそろ言わねばと思ってはいたから、今日は話し合う良い機会かと思って。」
全くこの人は…今日はバレンタインデーだというのになんとご無体な。
しかしながらいい加減に付き合いも長いし、慣れた。この人はそういうイベントごとにあまり興味はないのだ。
そして言いたい話題も、おおよその察しはついていた。
「そうだね。Sくんにお願いすることにしたよ。まだ若いが既にG1ウマ娘を複数輩出しているトレーナーだ。君の性格や趣味の事は伝えてあるから大丈夫だと思うよ。」
「しゅッ…!?趣味もですか…ソウデスカ…」
「君には色々レース以外にもやりたい事があるようだからね。ほら…ウマコミ…?だとか新刊?がどうとか…理解が必要なんじゃないかなと。」
うん…まぁそれはそうなんですがね…正しく伝えてくれたかはどうにも怪しい…
トレーナーさんのウマ娘ちゃん愛にはあたしも舌を巻くが、年代差もあってか趣味趣向はあまり合っていない。
若い頃にレース後のウマ娘ちゃん達の身体の為に、『ウイニングライブという制度そのものを見直す上申書』を上に叩きつけた事があるという武勇伝がまことしやかに囁かれているお方だ。
トレーナーさんもまた、海にように広いウマ娘ちゃん愛を持つ"同志"ではあるが、そのベクトルはあたしとは大きく異なっている。
きっとこの人の見立てならば、あたしも新しいトレーナーさんの元に行っても悪いようにはなるまい、そうは思っていてもやはり聞いておきたいことがあった。
「…駄々をこねてももはや無駄なようなので観念して移籍に関してはお受けします。ただ最後に一つだけ聞いておきたいんです。」
「何かな?」
「どうして私だけ最後までチームに残したんですか?」
これだけは気持ちの整理のために聞きたかった。
「いや違うよ。君はもう……」
背筋が冷える。
しまった、この会話の流れはよくない。失言だった。
やっぱり『あの言葉』だけは聞きたくないので、慌てて言葉を割り込ませる。
「この前の中山金杯も練習後に冬コミの新刊の為に徹夜していたせいで3着取ったようなダメなウマ娘だからですか!?」
「……その話は初耳だね?デジタル。よく入着したね、むしろ…」
なんとか阻止しようと咄嗟に出た言葉で最後の抵抗を試みた。
トレーナーさんは若干厳しい表情になって言おうとした言葉を一旦引っ込めた様子だったが、またすぐに少し笑って言葉を続ける。
「……なんでですか?」
「少しでも長く君を見ていたかったんだ。」
「――え…?」
思いがけない言葉だった。
トレーナーさんはいつでも万全な力を発揮できる健康優良ウマ娘より怪我などで全力を発揮しきれないウマ娘に寄り添う方だと思っていた。
体も小さく、さほど見栄えしないウマ娘であるあたしの事が気掛かりなのかとてっきり…
「少しでも引き延ばせばきっと辞める前にデジタルがG1ウマ娘になる姿を見られるんじゃないかと思ってね…僕の勝手なエゴだけども」
「そうだったん…でずがぁ゛〜!う゛うぅ〜…」
思わず感涙してしまう、目じゃない所からも汁が出るのをこっそりハンカチで押さえて隠す。
あたしがダメだから、心配だから最後までチームに残していたんじゃなかった。
あたしですら自分の力を信じられなかった頃から、ずっとこの人は力を認めてくれていたんだ…
「デジタルは芝だってダートだってG1レースを走り切れるよ。」
「新しいチームへ行っても君はやれる、だって…」
しまった…今は頭が真っ白だ…
何も言葉が思いつかない。
「君はもう…」
やめて。言わないで。
「大丈夫だから」
あたしもついに言われてしまった。
チームの先輩方から教えられた『別れの言葉』。
トレーナーさんが自分の手を離れてもこの娘はやっていけるという確証を得た時にかける言葉。
言葉以上の意味はない。この言葉を掛けるウマ娘ちゃんは、どこへ出しても恥ずかしくない一流だと認めた証だ。
深いウマ娘ちゃん愛に裏打ちされた言動なのだと頭では理解している。
しかし、この言葉に何故か深く斬りつけられたあたしの心が、せめて一太刀浴びせ返そうと言葉を捻り出す。
「…トレーナーさんのそういう所、好きだけど嫌いです」
「…ごめんね」
そう言って困ったような笑顔を作るトレーナーさん。謝るぐらいならあと2年…いや欲を言えば3年ぐらい見ていてほしかったです。
その笑顔も大好きだけど、今だけは少し嫌いです。
シチュはデジたん育成のシニアのバレンタイン
トレーナーさんのモデルは某M氏
季節感ゼロで申し訳ない
正座。
>「君はもう…」
「大丈夫だから」
その後をちゃんと見てみろ
>お兄様。
正座。
学習塾やってるけど有名校とか成績急伸とかの売りが特になくて…がよく似合う
勉強の楽しさを教えるのはめちゃくちゃ上手いんだよね
けど塾で成績の強みがないのはキツイんだよね…
やはり君はもう大丈夫だった