「……えっ」
カレンのまん丸な瞳が見開かれ、ピンと耳が立った。呆気に取られた、そんな表情ですら可愛らしいのだから彼女のカワイイは最早反射レベルで根付いているのだろう。
「有名なホテルのレストランのチケットが手に入ったから。もし良かったら──」
「行く! 行きます! 空いてます!」
ぐっと拳を握り込んで乗り出してくる。そんながっつく姿勢ですらカワイイのだから、カワイイの語源とはカレンにあるのではないか。俺は小さく苦笑しながら、彼女にチケットを差し出した。
「よし、頑張って。確かダイワスカーレットのトレーナーもまだ予定は空いていたはずだから」
「……は?」
喜色満面の口元は、一瞬にして真横一文字に結ばれた。
「こういうのは早い者勝ちだから」
カレンとは長い付き合いだが、彼女がダイワスカーレットのトレーナーに片思いをしていることは知っている。
もう随分と昔の話だが、ダイワスカーレットのファン感謝祭の時にちょっかいをかけていたのを覚えている。ファン感謝祭の出し物でスカーレットに負けて凹んでいたのを励まして、それがきっかけでカレンのトレーナーになった。
そうして始まった彼女との契約の中で、恋路以外のレースでも、日常においても、付きっきりで彼女を支えてきたつもりだ。思い返せばここ一年、お休みの日はカレンとお出かけばかりしていた気がする。
その甲斐あって今やカレンのカワイイは天元突破と言っても過言ではない。このチケットを持ってすれば、彼女の想いがクリスマスに結実するのは間違いない。
「……あーそっかぁ……そうなっちゃうかぁ……そういうつもりだったんだぁ……」
しかしカレンは受け取ろうとしない。俯いて、何か呟いている。少し怖い。
「あの、トレーナーさん。トレーナーさんは、クリスマスの予定はあるんですか?」
「え? いや、無いけど……あ、ハローさんと都留岐さんが飲み会を企画してるらしくて」
「行くんですか?」
「今抱えてるレポートが終わったら行こうかなとは……無事に終わりそうだし、この調子なら行けそ」
「行きたいんですか?」
「まぁ、」
「行くって、言ったんですか?」
「いや、それは、まだだけど」
「じゃあ」
カレンが、チケットを手に取った。俺の手ごと、その手のひらに包み込んで。
上目遣いに、見つめてくる。
「カレン、あなたと行きたいです。早い者勝ち、なら」
「お待たせしましたっ」
赤を基調にした上半身のコーデに、上品な黒いスカートと、黒いブーツを履いて、カレンは待ち合わせ場所に現れた。
よく似合っている。デザインの系統を見ると『可愛い』というよりは『綺麗』寄りで纏まっている。メイクの調子も普段より大人びている感じがする。
初めて見るカレンの姿に、正直、ときめいた。
「……いや、全然待ってないよ。むしろちょうどいいくらい。君が美人過ぎて、テンション上がってきた」
「えへへ、ありがとうございます♪……それで、トレーナーさん……その、格好は……?」
「うん。バレたらいけないと思って」
これは考えた結果のコーデである。
カレンが何故俺を誘ってくれたのか。答えは一つ。
来るべき本番に備えての、予習及び偵察に他ならない。
であるならば、俺は変装──とまでいかなくとも、パッと見で素性がわかりにくい格好をした方が良い。
トレーナーとウマ娘が、クリスマスという日に二人で出掛けている。それだけで、噂になるケースも少なくはないのだから──
「……ダメでーす♪」
「ああっ」
目にも止まらぬ早業。カレンは一瞬にして俺から帽子とサングラスを奪い取った。
カレンが背伸びして、俺の頬に手のひらを添えた。ウマ娘の温かい体温が、じんわりと伝わってくる。シャンプー、香水、カレン自身の体臭が程良くブレンドされた甘い香りが、鼻腔を擽る。
「改めて。今日のカレン、どうですか?」
「……綺麗だよ。とても」
「……はい。ありがとうございます♪」
カレンはパッと手を離すと、腕を組み、指を絡めてきた。
「じゃあ、行きましょっか♪」
でも、それはいけない。間違った考えだ。
自分はカレンに沢山のものを貰った。スプリントGⅠ春秋制覇に、香港への切符。カワイイの雪崩。トレーナーとして、沢山の経験をさせて貰った。
一方の俺は、カレンチャンに何も返せていない。
そんな自分が、カレンに──なんて。
もしかしたらカレンも──だなんて。
決して、カレンに悟られるようなことがあっては、ならない。
「トレーナーさん、あったかいです♪」
厚手のコートの上からすらも伝わる彼女の存在感に、俺は、空を仰いだ。
滅相もない…私には無理でございます…あのように一番はスカーレットのトレーナーで…
かつてお兄ちゃんだった人
お兄ちゃんはクソボケ